2022年6月14日
銃規制に反対するトランプの理屈は、憲法9条改正問題を含め、日本の防衛のあり方を考えるにあたりとても良い参考になる。
「悪人の無法な銃の使用を防止し、またそれに対抗するためには、善人の銃の所持が必要である。」これが銃規制に反対するトランプの理屈である。
この理屈は以下の条件が成立する場合は正しい。
すなわち、
1 社会には悪人と善人がいる。
2 悪人は無法な銃の使用をする危険があるが、悪人の銃所有を抑えることはできない。
この条件を日本を取り巻く国際社会にあてはめてみる。
2つの条件は成立していると考えられる。
「悪人」にあたる外国は核を持ち、ミサイルを持ち、更に軍備を拡充している。
トランプの理屈上、日本も核、ミサイルを保有すべきであり、軍備を拡充すべきである、ということになりそうである。
実際、ウクライナへのロシア侵略を背景に、そのような主張が強まっている。
しかし、そのような単純なことになるだろうか?
問題は、「社会には悪人と善人がいる。」という条件1にある。
条件1には隠れた前提があり、その前提も充たされていなければトランプの理屈は成立しない。
すなわち、「悪人はあくまで悪人であり、善人はあくまで善人であり、変化しない」という「善悪両サイドの不動」という前提である。
この前提は言うまでもなく一般社会では充たされず、きのうの善人が変質して、銃撃を一般市民に浴びせるというのが現実である。
善人の悪人化という現実のもとではトランプの理屈は成立しないのである。
このことを日本の防衛にあてはめてみる。
最近「普遍的な価値観を共有する有志国」という言葉が善人のような意味で使われている。
それらの国々は変化しないであろうか?善人であり続けるであろうか?
そもそも現在、「普遍的な価値観」を実際に有しているだろうか?口先ばかりのことではないだろうか?
日本自体、善人であり続けるであろうか?悪人になることはないであろうか?
アメリカには前科があり、現在も議事堂占拠事件に象徴されるポピュリズムの危うさを抱えている。
日本にも前科があり、その前科を前科としない勢力が、これまたポピュリズムを背景に力を強めつつある。
条件1の隠れた前提、「善悪両サイドの不動」という前提は充たされそうにはなく、「善人強ければ、すべて良し」というトランプの理屈は成立しないのである。
すなわち、日本の防衛のあり方は、憲法9条改正問題を含め、「善人強ければ、すべて良し」という単純なトランプの理屈を捨て、アメリカの悪への変質、日本の悪への変質をも想定の上、検討されなければならない。
反面教師トランプがもたらしてくれた教訓である。