2022年3月21日

 

 プーチンの誤謬の内容がいったい何であり、その誤謬の生じた原因はいったい何だったのか?

 そのことはプーチンの退場がいかなるものになるかにかかわらず、後世の歴史家の分析対象になるべきものであろう。

 短時日のうちに明らかになることはないであろう。

 そのような不可解な誤謬の犠牲になったのがウクライナの人々である。

 しかし、ウクライナの人々に我々が対する上で、その不運に同情するということだけでは、事態の捉え方としてまったく不十分と考える。

 

 我々は、プーチンの明らかな国際法違反の悪逆非道な行動に対して、単に糾弾、非難してその罪を償わせるのみではなく、これから将来の国際秩序にロシア的無法の余地を許さないということを頭に置きながら今回の事態に対処しなければならない。

 すなわち今回の戦いは、ロシア対ウクライナの戦いであるだけではなく、全世界的にプーチン的存在の登場を許さないための全人類的な戦いであり、我々の戦いである。

 今回の戦いの意義は、ヨーロッパのみならず地球全体に、アジア、中東、アフリカ、南米にも及ぶものである。

 しかしながら、ロシアが核保有の超大国であるため、今回の事態への対処が第3次世界大戦へと発展し、核戦争に至ることは何としても避けなければならない。

 この条件があるため、我々はウクライナの人々の命を最優先する戦い方を実施することができないという事態に陥っている。

 すなわち、今回の事態への対処については、我々のためにウクライナの人々に戦ってもらっているのであり、我々がウクライナの人々に犠牲を払ってもらっているということなのである。

 そして、プーチンの誤謬の馬鹿さ加減があまりにも過度であるため、その犠牲がなおも拡大し続けていくという可能性も大きいのである。

 このような実情にかんがみれば、我々はウクライナの人々の不運に対して同情して支援するだけでは十分ではない。

 ウクライナの人々は我々に代わって、全人類の代表としてプーチン・ロシアと戦っているのであり、彼らに対する支援にはコンペンセイションとしての支援という理解がなされなければならない。

 

 一部報道では、ウクライナに対して、早期停戦のための妥協を促す議論が日本のタレント評論家などからなされているようである。

 とにかく人命の犠牲をなくしたいという観点からの議論であり、気持ちがわからなくもない。

 しかし、我々もまたプーチン的誤謬の犠牲となりうる存在であり、今回の事態に対しては上記のような条件のもとで対処せざるを得ないという事情にある。

 そのことが、早期停戦妥協論では軽視されていると思われる。

 犠牲を強いているウクライナの人々には深くお詫びするほかはない。

 したがって経済制裁も含めた各種ウクライナ支援については、コンペンセイションという性格があることを考えなければならないのであり、痛みを伴うことを理由として支援を控えるというようなことはあってはならないと考える。