2022年2月22日
本稿は「物価とは何か」(渡辺努著、講談社選書メチエ)を読んでの感想、しかもつまみ食い的な感想である。
その感想が貨幣価値に関することであり、「物価水準の財政理論」(Fiscal Theory of the Price Level、略して「FTPL」)がその感想での言わばターゲットになっているので、これを標題とさせてもらっている。
FTPLでは貨幣価値の裏付けは政府の徴税権にあるとされる。
FTPLでは、貨幣(と国債)の裏付けに使える税収が減少する事態(例えば、減税、ばらまき財政、戦費調達)、これは徴税権の弱化と理解され、この事態においては、裏付けが弱まった貨幣の価値が低下し、すなわち物価が上昇し、インフレに至るとされる。
したがって、デフレ克服のためには、FTPLでは、FTPLによるインフレ的な政策、減税、財政支出の増によって貨幣の価値を低下させることにより物価の上昇を図るという方策が提唱されることになる。
このようなFTPLは、放漫財政がインフレを引き起こすという経験的事実と適合はするものの、経済行動心理学的な妥当性があるとは考えがたく、筆者は賛成できない。(本書の著者はFTPLの我が国への紹介者にあたる方のようであるが、本書では「私としては思い入れのある理論ではありますが、内外の研究者の見方は分かれていると注釈はつけた上で、その理論がどんなものかをご紹介します。」という言い方でFTPLに留保を付けた立場をとっている。)
政府の統治能力(経済秩序の維持能力)への信頼が貨幣の信用の基礎中の基礎というのは事実であり、そのことを象徴的に徴税権として取り上げたものと理解すれば、FTPLに一定の妥当性があると考えることはできる。
しかし、大雑把な動きは別として、必要な経済コントロールを想定した場合、貨幣価値の変動を説明することができる何らかの指標を財政状況の中から見出せるとは期待しがたく、したがってFTPLが政策化されることはないと考えざるを得ない。
また、デフレ対策として、本書ではFTPLとともに、貨幣へのマイナス金利の設定が紹介されている。
すなわち、貨幣保有に対して費用がかかるような制度を創るということであり、そのことによって貨幣価値は時間の経過とともに目減りしていくことになる。
すなわち、インフレを貨幣制度にビルトインしてデフレに対抗するという方策である。
マイナス金利もFTPLも、貨幣の効用を低下させることによって貨幣から実物保有への誘導を図る方策という意味では共通している。
このような方策が経済学の主流において検討されるようになったことについて、筆者としてはその歴史的背景に思いが及ばざるを得ない。
すなわち、いずれの方策も、ケインズの「流動性の罠」、すなわち低金利の下で金融政策が効かなくなる事態、への対応として検討されているのである。
このような事態は、一般的に高い利潤が期待されていて経済に活力ある時代には発生しないのであって、投資機会の減少、資本過剰によって一般的な利潤率の低下がみられる時代・社会において発生する事態である。
すなわち、世界の資本主義が全般的に停滞的な状況に至っていることの反映として対応策の検討がなされていると感じざるを得ないのである。
これらの対応策は、世界の資本主義が停滞的になっている根本的原因にメスを入れることのない、技術的な内容にとどまっている。
すなわち、これらの対応策は、生産性の向上、生産力の増進により経済発展を図るという正攻法ではなく、対症療法的な小手先の奇策でしかない。
さらに、貨幣の効用のうちの価値保存機能、価値増殖機会の低コストでの待機機能という効用が低下せしめられたことにより、貨幣から移行される新たな需要先は、その流動性が確保される必要から、実物一般に及ぶのではなく、不動産、株式等まさにバブル時代の登場したスターたちに限られることにならざるを得ないであろう。
前向きの実物投資には向かいそうもないのである。
うまくいってもミニバブルが繰り返す社会になるのがせいぜいだと思われる。
貨幣の価値、貨幣の効用を意図的に低下させてデフレ経済からの脱却を図るという発想から明るい展望は期待できない。