2022年1月14日

 

 日銀の財政ファイナンスによって政府は財政赤字に躊躇することなく積極財政を展開することが日本経済の再生のための唯一の道であることを主張する日本の現代金融理論は、その理論的破綻を認めることなく、世間を惑わす主張を相変わらず展開し続けている。

 その主張に依拠して政権奪取をもくろんでいる政治勢力の存在もあり、彼らの政権奪取は本格的な日本経済の沈没を招くことになるという危機感がある。

 世間一般が現代金融理論に惑わされないように、この際、現代金融理論の誤りを簡単に整理しておきたい。

 

 現代金融理論が成立するためには2つの条件が必要なのであるが、その2つの条件が非現実的であることを現代金融理論はまったく無視している。

 

 まず、第1の条件は、インフレ(国内的に発生する場合もあるし、通貨安による輸入品の高騰として発生する場合もある。いずれにしろ通貨の信認の低下現象である。)が発生した場合、ただちに政策転換を図り、インフレは阻止できるという条件である。

 現代金融論者は、その政策がインフレを引き起こす危険があることを認めている。認めた上で、早期の察知によってそれを阻止できるとしているのである。

 しかし、現在只今の物価上昇傾向が一時的な供給遅延という実物経済における現象であると日銀総裁が強弁していることに象徴されるように、インフレについては常に多様な原因論が展開されるのであり、事後的には原因を確定することができても当座はなかなか確定しがたく、政策転換によって不利益をこうむる勢力からは、まず間違いなく、インフレが政策要因ではないことが主張されるのであって、政策判断の遅延は必至と考えられる。ひとたびインフレに火がついてしまった場合、その火を消すのは至難の業であり、社会は大きな犠牲を払わなければならなくなってしまう。

 経済学は政治経済学でなければならず、現実の政策決定が政治力学の中でどのように行われるのかを無視した経済学は机上の理論にとどまり、その政策提言は現実的なものとは認められない。

 

 第2の条件は、日銀によりファイナンスされた政府支出が、民間支出よりも大きな投資効果をもつこと、あるいは少なくともプラスの投資効果を持つことという条件である。

 この場合、投資効果として必ずしも金額による算定である必要はなく、社会的意味においてその資源配分が合理的であればいいのであるが、投資効果がマイナスであれば、資源の浪費であり、その継続は国民経済の沈没を招くことになる。

 この政府支出の投資効果ということを現代金融理論はまったく無視している。

 短期的景気刺激の必要から、例えば今回の新型コロナ対策として、政府支出を拡大することは肯定されうるが、その中長期的実施を是認することはできないのである。

 投資規模が巨額であるため民間がそのリスクを負担できない場合、民間に代わって政府が投資を実施することに合理性がある場合はある。

 開発途上国において民間資本の蓄積が不十分な段階で、政府が投資主体となり、開発独裁といわれるような政治が行われたのはその実例である。

 しかしながら、現在日本においては、条件を無視して政府支出の拡大が求められているだけであり、結果として政治家から提起される政策は財源手当てを無視した無責任な政策の羅列に堕している。日本の政治の質的低下をもたらしている。

 現代金融論者は、投資効果に責任を持てる具体的な事業内容を掲げて政策提言を行うべきであり、ただ財政規模が拡大すればそれでいいというのでは無責任のそしりは免れない。

 

 人間は不幸に直面した場合、その不幸を受け容れるために、自分が納得できるその不幸の原因、不幸をもたらした責任が何処にあるかを求める傾向を持つ。

 そのことによって自分が免罪されることを実は求めているのである。

 不幸の原因の究明には往々にしてそのような精神病理学的要素が絡んでおり、自分が納得できればいいのであって、科学的根拠は無視されやすい。

 日本における現代金融理論にはそのような傾向があると思われてならない。