2021年12月30日

 

 このたびの年賀状では、例年の新年挨拶の言葉をやめて、ちょっと遊ばせてもらいました。

 「吾は固(もと)より無用の人なり」という言葉で有名な成島柳北(1837~1884)の「柳橋新誌」の中の文章を借用・変更して年賀状に載せたのです。

 柳北の文章の趣旨は、粋人に古今の変わりはなく、今の粋人も昔の粋人と同様に花街の遊蕩を楽しんでいる、というもの。

 その趣旨を転換し、人は老いても心に変わりはなく、老人は若い頃と同じように、世の中を楽しんでいる、という趣旨の文章にしました。

 

 まず、作者を慣島遥柳(なれしまようりゅう)という架空の名前にしました。

 柳北の姓「なるしま」の音に似せて姓を「なれしま」とし、「柳北」という名はあの柳橋の北に住む者という意味らしいので、筆者は柳橋から遥かに遠くに住むという意味で名を「遥柳」としたのです。

 

 柳北の原文はこうです。

 「人性古今無く

 人情未だ木石に変ぜず

 今の才子佳人、また、なお、古(いにしえ)の才子佳人のごときのみ

 風月花柳の遊びに至っては

 則ち豈に往昔に彷彿たる者なからんや」

 

 それを次のように変えました。

 「人性古今無く」、すなわち人の本性に古今の違いはないというところを、「人性老少無く」、すなわち人の本性に老と少(「若い」の意味)の違いはないとしました。

 「人情未だ木石に変ぜず」、すなわち人情が木や石のように枯れてしまうことはないというところは、変更を加えず、そのままいただきました。

 「今の才子佳人、また、なお、古(いにしえ)の才子佳人のごときのみ」、すなわち今の才子佳人は昔の才子佳人と変わるところはないというところは、「今の才子佳人」を 「老いたる凡才愚人」に、「古の」を「少(わか)き」として、老いたる凡才愚人は若いころの才子佳人と変わるところはないとしました。

 「風月花柳の遊びに至っては」は、これは花街での遊興のみを表わすものであるので、「山川風月の遊びに至っては」として遊興の対象を幅広く、自然風物を意味するよう脱色しまた。

 「則ち豈に往昔に彷彿たる者なからんや」は、何で昔のままの者がいなくなっていることがあろうか、みんな昔のままの者たちばかりであることよ、ということで、変更を加えずに、そのままとしました。

 

 すなわち、

 「人性老少無く

 人情未だ木石に変ぜず

 老いたる凡才愚人、また、なお、少(わか)き才子佳人のごときのみ

 山川風月の遊びに至っては

 則ち豈に往昔に彷彿たる者なからんや」

 

 漢文として成り立っているのかどうか、はなはだ心もとないのですが、気分だけでも受けとっていただけるとありがたいです。

 なお、末筆ながら、本年は春雄(照ノ富士)と日向子(渋野)が大変お世話になりました。御礼を申し上げるとともに新しい年もよろしく御支援をお願いいたします。