2021年11月24日

 

 立憲民主党の代表選がゼンゼーン盛り上がらない。

 当り前だ。「4人の候補者で論戦が行われた」などと報道されるが、論戦など行われていないからだ。

 候補者の主張の違いを判別するのは誰にとっても無理だろう。

 当り前だ。主張に違いがないからだ。

 行われているのは論戦ではなく、滑舌コンテストでしかない。

 その内容は評論家的、抽象的、感想的であるにとどまっている。

 ゼンゼーン当事者性が感じられず、具体的でなく、実践的でない。

 

 「向かうところ敵なし」という言葉は、「断然強い」ということを意味する。

 しかし、今回の代表選の場合は逆だ。

 戦うべき政党がその敵を明らかにしないがゆえに、政党たり得ず、「断然弱い」のだ。

 どの候補者もすべて、自分たちの敵が誰であるのか、どこにいるのか、を明らかにしない、あるいはできないのである。

 敵を設定しないから、戦術も戦略も語りえないのである。

 

 候補のひとり西村智奈美が「理不尽を許さない」と言っていた。

 「理不尽を許さない」のは誠に結構。ただし、そこにとどまっていてはゼンゼーンだめだ。

 国民に対して、何を理不尽と考えているのかを明らかにし、その理不尽をもたらしている原因を明らかにすることが必要だ。

 その原因となっている者たちを明らかにし、その者たちを敵として攻撃しなければならないのだ。

 

 そのことなくしてどこに野党の存在価値があるだろう?

 そのことなくして誰が支持、応援しようとするだろう?

 敵なく、戦いがないならば、政党など解散してしまうのがいちばんよろしい!

 土俵入りだけで取組のない相撲など、見ていてもしかたがない。

 筆者はそろそろ帰り支度に入ろうと思っている。