2021年10月8日

 

 知らなかったのは筆者が迂闊だったのかもしれないが、そのことを知ってとても驚いたので、御存知でない方もおられるであろうから、報告しておく。

 今や普通によく目にするようになった手話についてのことである。

 

1 手話は人工言語ではない。

  すなわち、健常者の使用する口語を手話という形式に工夫して移したというもの

   ではない。

  健常者の使用する口語と同じようにろう者の間で生れた自然言語である。

  手話は独自の文法を有する。

 

2 手話がろう者の言語として認められたのは、ろう者たちの運動の結果であっ

 て、 ごくごく最 近のことである。

  それ以前には、ろう者も音声を発し、読唇術で話を読み取る口話主義や、音声を

 発しながら手話の単語を並べるシンコム(simultaneous communication)とい

 う、ともに健常者の口語にろう者の言語を従わせようとする言語が推進された時代  

 があった。

 

 以上は「ナショナリズムの由来」(大澤真幸著・講談社2007)の「第二部変型:ナショナリズムの最後・後の波 Ⅴ Coda」(「Coda」とは「Children of Deaf adults」(ろう者の両親から生まれた子ども))によるものである。

 大澤は最近のナショナリズムの新しい型を理解するための一典型としてろう者の言語獲得のこの話を取り上げているのであるが、ナショナリズムの新しい型の発生についての展開は、正直なところ極めて難解であり、筆者はそれを説明する能力を持たない。

 「Ⅴ Coda」には別に感動的な挿話もある。