2021年9月28日

 

 自己の死という虚無から逃れるために、人類は肉体と魂の二元論を考え出した。

 肉体は死んでも魂は永遠であると考えることによって虚無から逃れた。

 しかし、この退避方法は冷徹にも科学によって否定された。

 

 人類は、個人の死を超える血脈の永遠性に気がついて、「家」を虚無からの脱却の頼りとした。

 「永遠なる『家』」への貢献を考えることによって人間は自己の死という虚無から逃れることができた。

 しかし、この「家」は近代の個人主義思想によって否定された。

 

 人類は、個人が死んでも「家」が否定されても、「民族」は永遠である、「国家」は永遠であると考えた。

 「永遠なる民族」「永遠なる国家」への貢献を考えることによって人間は自己の死という虚無から逃れることができた。

 しかし、「民族」「国家」を支えるナショナリズムは近代の特殊歴史的な思想であって永遠のものではないことが明かになった。

 「民族」「国家」の消滅は時間の問題となった。

 

 虚無からの脱却のために永遠性を得るには最終的に人類の永遠性に頼るほかない。

 永遠なる人類への貢献を考えることによって人間は自己の死という虚無から逃れることができる。

 (ボーヴォワールはこのことに気がついて次のように語っている。

「人類が消滅するであろうなどと断言するのを、何ものといえども許しません。」)

 しかし、科学(ビッグバン宇宙論)は宇宙の必滅を断言した。人類の永遠性を否定してしまった。

 

 宇宙必滅、人類必滅という状況下において人間は何をもって自己の死という虚無から逃れうるのであろうか?

 永遠性への退避路線を断念し、虚無との直接対峙路線をとるほかはない状況におかれているのではないだろうか?