2021年9月10日

 

 政治が対応しなければならない問題、政治が解決しなければならない問題、人々の生活における国家というもののウエイトが極めて大きくなった現代社会においては、これらの問題が多種多様に山積し、かつ増大しつつある。いずれの問題も真剣に取り組まれなければならないが、問題を大きく2つに分けることができるように思う。

  

 その1は、絶えず争点化して政治家に考え続けさせなければならないというのは当然のことだが、対応のための基本的理念に違いはなく、選択の幅は限られている問題、時間・コスト・効き目に政策の巧拙が生じたり、支持基盤の違いにより利害のウエイトのかけ方の多少のちがいが出てくることはあるが、政策間の切磋琢磨によって漸進的な問題解決を期待することができる性格の問題群である。

 象徴的には新型コロナ対応がそれだ。コストを最小にしつつ、いかなる防疫策をとることがベストか、ということが課題であって、解決策に理念、イデオロギー上の問題はほぼ無いと言ってよい。

 意志決定における官民バランス、政官バランスの問題も、振り子が片方に振れすぎるとまた元に戻るといった傾向のもので、どちらか一方に偏り続けるという問題ではないと思う。

 そして、きびしい対立軸と思われているトリクルダウン思想による産業振興政策と格差是正のための所得再分配政策のどちらが優先されるべきかという問題も、現代においてはいずれも国家が取り組まなければならない問題であって、それぞれの問題への対応の基本理念には大きな違いはなく、違いは2つの課題間の塩梅をどうするかというところにある。自民党から共産党まで看板いかんにかかわらずその実質的な主張は社会民主主義であり、彼らは政策コンテストのおなじ舞台に立っているのだ。

 

 政策の切磋琢磨によって漸進的解決を期待する性格の、以上の問題に対して、その政策の採択いかんが日本の運命を大きく左右することとなる問題、日本を破滅させかねない問題であって、白か黒か、二者択一で、一気に決定しなければならない問題がある。

 特異点に達したとき、サドン・デスが待っている問題であって、後戻りできず、政策の微調整による漸進的改善にはなじまない種類の問題である。

 日本の存立にかかわる問題であって、国民を巻き込んで選択を問わなければならない問題である。

 筆者は3つの問題がこれに当たると考えている。

 

 まずは憲法9条改正問題。集団的自衛権、すなわち日本の防衛に同盟国の軍事力を活用することとし、見返りに同盟国の戦争に日本が参戦することをコストとして覚悟する、そのことを憲法上認めるか否かという問題である。大国間の軍事対立において日本が一方の側と同盟し、海外で軍事力を行使することをいとわないという道の選択の問題である。

 当面起り得るとすればアジア・アフリカあるいは中東で発生する大国間の代理戦争であって、日本がそこに自衛隊を戦闘部隊として派遣することを法律上可能にしておくか否かという問題である。

 

 第2の問題は、第1の問題と密接に絡む問題であって、対中外交政策の問題である。

 バイデン政権は対中強硬路線をかなり明確に表明しており、直接衝突か第三国での代理戦争のかたちをとるかは予測しがたいが、早晩いずれかのかたちで軍事衝突は発生することを覚悟しておかなければならない。

 この状況において日本はどのような対中政策をとるのか、そして対米政策をとるのか。

 すでに現自民党政権は、アメリカと運命を共にするという明確な腹固めがないまま、なし崩し的に対米協調路線を歩んでおり、反中の方向で国民世論の誘導を展開している。

 日本お得意の「既成事実への屈伏」路線がまたしてもこの重大な問題に適用されるようなことがあってはならないのであって、国運をかけた窮極的な検討を経たうえで、この問題への対応が決定されなければならない。

 

 第3の問題は前2者とは性格を異にする、財政運営の問題である。現代金融理論(MMT)への対応の問題と言ってもよい。

 経済成長を復活させるための財政出動、その資金調達ための国債発行、事実上の国債の日銀引受、これによる超金融緩和が円の投げ売り・暴落、輸入物価の高騰、金利急上昇という危険があることはMMTも認めている。ただし、その危険は経済指標によって認識可能であり、その時点で政策を修正すればよい、それまでは政策を継続して日本の経済の再生を図るべし、とするのがMMTである。

 MMTは2つの仮定の上に成り立っている。1つは、民間投資よりも効率的な財政による投資の余地があり、それは政府において判断できるということ、もう1つは、経済指標は連続的に変化するものであり、その変化によって破綻は予測が可能であり、当局において事前対応が可能であるということである。

 いずれも非現実的な仮定である。そして、にもかかわらずMMTは、財政拡大を容認し、財政再建(国民にとって不利益な措置が不可避)の必要を認めないというところから、人気取りの大衆迎合政治家にとって便利な主張であり、あたかも立派な経済理論であるかの如く取り扱われている。

 MMTが本格的に採用されたならば、非効率的な投資による資源の浪費によって日本経済をじわじわと劣化させるとともに、ある日突然の円の投げ売り・暴落を発生させて、一挙に日本経済を破綻に陥りさせかねない。

 現代金融理論(MMT)との絶縁を早急に宣言して、サステーナブルな財政運営が考究されなければならない。

 

 自民党総裁選を控えて政権構想というかたちでいつもよりは政策表明が総合的になされるようになっている。

 それらの評価に当たって、政策コンテストの舞台を共にする前者の問題群はリップ・サービスにカモフラージュされていてその本質を見極めがたい。実行されてみなければ、評価を下しがたい。

 まずは日本の存立にかかわる後者の問題についての考え方を確認することが優先されるべきであろう。

 

 なお、以上の政策問題以前の問題、すなわち国民に対する政治家の政策説明能力の問題、単なる権力志向でしかない利権追求政治家(政治屋)の発生の問題、戦前回帰を志向する超国家主義的排外的民族主義の問題、これらの問題は民主主義国家・日本にとってあらかじめクリアされていなければならないこと、言うまでもない。