2021年7月17日
相撲解説で北の富士の人気が高い。他の解説者を大きく凌いでいるだろう。
男前とか、おしゃれとか、相撲内容の解説振りとか、そういう当り前のことでは説明がつかない。
北の富士の人気を高めている一番の理由はNHKが「野暮」だからである。
力士は、勝ち星を稼いで、その地位を上げていくことを目標としている。給金を上げ、人気が高くなることも目標としている。出身地での評判も、街でのうわさも気にしている。競争相手のことも、親方、先輩、後輩による評価も気にしている。
それは事実だが、そのいちいちを細かく、四六時中、頭に置いていることはない。
場所中は、対戦相手に勝つこと、もっぱらそれを思っている。
思っているというのが正確であって、力士によって、作戦をあれこれ考える者もいれば、作戦などは考えずにただただ勝ちたい勝ちたいと思っている者、ぼんやり勝ちたいなあと思っているだけの者など様々である。
にもかかわらず、NHKのアナウンサーは、あたかも点取り虫のがり勉のごとく、あたかも競争意識過剰の営業マンのごとく、力士のすべてを先を計算する者として取り扱い、その結果生じるであろう緊張についても語ったりするのである。
NHKのアナウンサーが、なまじ頭がいいため、そこに思いが及んでしまうということなのかもしれない。しゃべって時間を消化するのが彼らの仕事なのでそうせざるをえないのかもしれない。これをしゃべれと上から指示があるからかもしれない。
大げさにいえば、現代日本の薄っぺらな人間観がNHKを通じて露呈しているのかもしれない。
その地位ゆえの責任、昇進あるいは地位陥落回避に必要な勝ち星の数、競争相手との比較状況、前半戦、中盤、後半戦の相手の違いによる力の配分、いろいろな記録達成、それらを力士たちが考えないわけではない、それによる緊張が生じる場合もないわけではない。
しかし、これらが力士たちの頭の中に占める割合は、NHKのアナウンサーの語りが思わせるウエイトよりは、特定の神経質な力士を除けば、はるかに小さい。
一般視聴者も直観的にこの的外れの説明を「違う」と感じる。力士たちはそんな合理的な、計算で生きる存在ではないと感じる。もっと「いき」な男たちのはずだと思う。力士たちがそんな存在だったらつまらないと思う。NHKのアナウンサーは「野暮」だと感じる。
この「野暮」に対して、やんわりと違うんじゃないのと示唆をするのが北の富士である。そんな説明には自分は興味がないと言うのが北の富士である。
そこで同じ思いの一般視聴者は北の富士の発言にイラっとした気分を解消し、清涼感を感じ、北の富士の解説を歓迎するのである。
NHKの「野暮」に同調する解説者、NHKに輪をかけて「野暮」な解説者もいる。北の富士の人気の所以を学んでもらいたい。