2021年6月18日
本日(6月18日(金))朝日朝刊「オピニオン&フォーラム」というページに「二つの資本主義の行方」と題した経済学者ブランコ・ミラノビッチへのインタビュー記事が掲載されている。
ブランコは「資本主義を『大半の生産が利潤追求のため、私有の生産手段によって行われる制度』だと定義すれば、いまの中国は資本主義国家です。」と語っている。
筆者はブランコの定義に「市場メカニズムの活用」という条件を加えたほうがいいと思うが、いまの中国が資本主義国家であると見なすことに異議はない。
中国を資本主義国家とすることによってブランコは、次のことを導き出している。すなわち、旧ソ連との冷戦はイデオロギーを巡る闘争であったが、今の米中関係は大国の覇権争いであってイデオロギー闘争ではない。中国との対立を、民主主義国家と専制主義国家の闘いとするのは、バイデンがそのように見せようとしているのであって対立の本質ではない。
筆者はまことにそのとおりだと思う。米国が正義であって中国は悪であるというバイデンの戦略的な図式を真に受ければ、我が国はとんだ馬鹿を見ることになるだろう。
国際ルールの無視、逸脱、非民主主義的・反人権的諸活動等々、中国の不愉快な点については遠慮することなく追及し、必要な制裁を課していくことは、大変結構なことと思う。
しかし、中国を悪の帝国とし、道徳の物差しで対応していくことは、百害あって一利なしだと思う。
急成長によるナショナリズムの高揚があるので警戒を怠らないことが必要だが、極端な行動に走ることには中国は控えめだと思う。
中国は現状を自国に有利と考えている。敢えて派手に喧嘩をすることなく、地道に競争を続けていけば、さらに有利な状況を作り出していけると中国は考えていると思われるからだ。
この点で警戒すべきはむしろアメリカである。中国との覇権争いで、実力以上の見えを切ってしまい、上げたこぶしを下ろせなくなったつけを同盟国に回してくることを我が国は考えておかなければならない。
さて、ブランコが中国を資本主義国家としたのはよろしいが、ブランコは中国の資本主義を「政治的資本主義」と名づけているのは不十分だ。
ブランコはアメリカを「リベラル能力資本主義」としていて、これもあいまいだが、「政治的資本主義」とは、いったいどこを見て、何を捉えてそのように言っているのかがさっぱり見えない。政策的に示唆されるところもない。
筆者は中国の資本主義を「市場非崇拝資本主義」と名づけたい。
市場メカニズムの効用を認め、それを活用しつつも、すべてを市場メカニズムにゆだねるのではなく、特定の必要を認識した場合には人為的に介入することを躊躇しない資本主義という意味である。
ケインズ的介入を余儀なくされて以来、すでに資本主義は事実上「市場非崇拝資本主義」に変質している。
すべての資本主義国家は、一時の運動としての新自由主義、市場原理主義という「市場崇拝資本主義」こそあったものの、実態は「市場非崇拝資本主義」である。
しかし、アメリカ、日本、EUは、いまや地上から姿を消した、まぼろしの社会主義計画経済との対抗上、市場メカニズムの効用をあたかも絶対であるとのイデオロギー的対応をとらざるを得ず、市場メカニズムを崇拝しているポーズをとっている。したがって、アメリカ、日本、EUを「市場非崇拝」とすることはできない。
中国にはそのような建前に拘泥しなければならない理由はない。ここのところを捉えて、中国を「市場非崇拝資本主義」と名づけるのである。
中国は社会主義国ではない、市場非崇拝資本主義国である。専制主義的様相の原因の一部には市場非崇拝資本主義であることがある。
このように中国を捉えることによって、対中国政策を誤ることの危険を多少は抑制することができるのではないだろうか。