2021年6月11日

 

 1391(都々逸習作)で七七七五の都々逸が風前の灯火であることを報告した。これに対し読者から「〽雨は降る降る・人馬は濡れる」の熊本民謡「田原坂」が七七七五であるとの御指摘をいただいた。あっと思ってその他の民謡に当ってみたところ、鹿児島おはら節、串本節、佐渡おけさ、常磐炭坑節 東京音頭等々なじみのある民謡が軒並み、圧倒的多数という感じで七七七五であることに気づかされた。また、歌謡曲、演歌の世界でも「星の流れに」「達者でナ」「大利根月夜」「いつでも夢を」、軍歌で「同期の桜」、浪曲で「天保水滸伝(さわり)」が七七七五であり、これらの世界には他にも多数の七七七五があるのではないかと推測される。(うしろに21曲を冒頭部分の歌詞とともに掲げておく。)

 七七七五はいわゆる文芸の世界でこそ気息奄々という状態に陥っていたが、庶民の世界で「どっこい、おいらは生きている」と、立派に活躍していたのである。

 

 考えてみれば、万葉集で我々が知りうるように、「うた(定型詩)」はそもそもは共同体のものであった。それが時代が下るとともに個人性が強まる方向に変化してきたのであった。

 「うた」の作者とうたわれる内容を、この共同体性と個人性という要素で分けてみれば、次のような類型が考えられる。

①作者:非個人《=共同体と言ってもいい》、内容:共同体的経験《=共通の「景」、共通の「出来事」、共通の「心情」》(歌われ続け、変化をくり返し、「うた」として定着したもの)

②作者:個人《=名の残る場合と匿名化する場合がある。》内容:共同体的経験(すなわち、個人が共同体を代表するかたちで、共同体的経験を歌ったもの)

③作者:個人《=うたった個人の名が関心の対象となる》、内容:個人的経験《=個人の発見した「景」、個人が体験した「出来事」、個人の「心情」、そして個人の「機智」》

(注1:以上の「共同体的経験」とする「共同体」として「村落共同体」「国家」「共同体を呈する集団」等様々なレベルを考えることによって、さらに類型を細分化することができる。)

(注2:「個人的経験」が実は「共同体的経験」でもあり、その結果、個人のうたが人口に膾炙するというのが極めて一般的であること、言うまでもない。)

 

 そして、俳句、短歌の隆盛とは、俳句、短歌が類型③であり、共同体性が希薄化し、近代が芸術性として要求する個人性を俳句、短歌が獲得したことの結果であると言えるだろう。

 それに対して七七七五の都々逸は、類型②のしかも極めて狭く限られた共同体経験、すなわちほとんどが男女間の情愛を内容とするものであり、またそのもとで突出した個性を発揮する個人に恵まれることがなかった。このため、近代性を獲得することができなかったと言えるであろう。

 しかし、近代性という西洋基準、個性だ文学だ芸術だという観念的世界に関わることがない庶民の世界において、七七七五は類型①又は②として根強い生命力を保っていた。

庶民は故郷としての共同体を捨てることができなかった。うたわないではいられなかった。それが民謡の世界の七七七五であり、歌謡曲、演歌の世界の七七七五であったのだ。

 

 とは言っても、民謡の世界、歌謡曲、演歌の世界が基盤とする共同体の急激な衰退、すなわち地方の衰亡には、極めて著しいものがある。

 そこに望みがないとなれば、七七七五が生き残るには類型③の道を歩むしかないような気がするが、七七七五には都々逸の、そして民謡のイメージが強くあるためか、題材とする対象におのずと限界があるという気もする。類型③の道はなかなか厳しいかもしれない。

 新時代の庶民は新時代の何らかの共同体を打ち建てて、新たな共同体のうたを獲得するであろうか?しかし、その場合も七七七五というのんびりしたものではなく、流行りのラップというようなものになるような気がする。とすれば参加はほとんど不可能だ。

 こんなことを言っているのは筆者も所詮「ノスタルじじい」ということか。

 

 なお、これまでのことから話が飛ぶが、「色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)受想行識(じゅそうぎょうしき)亦復如是(やくぶにょぜ)」、般若心経の中核部分、これが七七七五であることにも、今回気づくことになった。どのように理解すべきことかは皆目見当がつかない。

 

【七七七五の民謡例】

鹿児島おはら節「花は霧島・たばこは国分・燃えて上がるは・桜島」

田原坂    「雨は降る降る・人馬は濡れる・越すに越されぬ・田原坂」

貝殻節    「何の因果で・貝殻漕ぎなろうた・色は黒うなる・身は痩せる」

安来節    「出雲名物・荷物にならぬ・聞いてお帰り・安来節」

串本節    「ここは串本・向かいは大島・中をとりもつ・巡航船」

箱根馬子唄  「箱根八里は・馬でも越すが・越すに越されぬ・大井川」

東京音頭   「踊り踊るなら・東京音頭・花の都の・まん中で」

佐渡おけさ  「佐渡へ佐渡へと・草木もなびく・佐渡は居よいか・住みよいか」

常磐炭坑節  「朝もはよから・カンテラ下げて・坑内まわりも・主のため」

相馬盆唄   「ことしゃ豊年だよ・穂に穂が咲いて・道の子草にも・米がなる」

花笠音頭   「めでためでたの・若松さまよ・枝も栄えて・葉もしげる」

南部牛追唄  「田舎なれども・南部の国は・西も東も・金の山」

江差追分   「国を離れて・蝦夷地が島に・幾夜寝覚めの・波枕」

ソーラン節  「にしん来たかと・かもめに問えば・わたしゃ立つ鳥・波に聞け」

北海盆唄   「北海名物・数々あれど・おらが北海道の・盆踊り」

【その他の七七七五】

星の流れに  「星の流れに・身を占って・どこをねぐらの・今日の宿」

達者でナ   「わらにまみれて・育てた栗毛・今日は買われて・町へ行く」

大利根月夜  「あれを御覧と・指差すかたに・利根の流れを・ながれ月」

いつでも夢を 「星よりひそかに・雨よりやさしく・あのこはいつも・歌ってる」

同期の桜   「貴様と俺とは・同期の桜・同じ航空隊の・庭に咲く」

天保水滸伝  「利根の川風・たもとに入れて・月にさおさす・高瀬舟」