2021年4月12日

 

 男女差について書くが、実証的なものではない。筆者の断定である。

 実証的でないことに後ろめたさはない。

 その理由は、1つには、実証的と言えるものにお目にかかったことがないこと、2つには、断定は「あるべき」という理念的意味合いを含んでいるから、である。

 理念とは、我々・近現代人が採用を決断したヒューマニズムである。

 

 2つの集合が大きく重なっている2つの円である場合、同心円でないかぎり、平均値(円の中心の座標であらわされる。)には差がある。

 しかし、2つの集合の違いをその平均値の差によって語ることは、実践的な意味において、まちがいである。

 その理由は、2つの集合の関係について語る場合、同質性のほうが異質性よりもはるかに本質的なことだからである。

 また、個々の集合構成要素を取り出して比較する場合、平均値の差はまったく何の意味も持たないからである。

 

 生得の性格、能力(体力を除く。)の男女差はこの場合に該当する。

 白猫と黒猫の毛色以外の差、例えばネズミを捕る能力、人への慣れやすさのちがい、についても該当する。

 後天的な、すなわち社会的に形成された男女差(ジェンダーによって形成された男女差)についてはこの限りでない。

 野生の猫と飼い猫の差についても同様である。

 

 なお、男女のお互いに対する心理、振舞いのパターンは、そのほとんどが後天的に、すなわち、社会的に、すなわちジェンダー形成とともに、形成されたものである。

 すなわち、特殊歴史性をおびたものであって、永遠性、普遍性を有しない。

 

 以上は、国民性、民族性のちがいについての議論にも適用されるべきものである。