2020年12月24日

 

 新年までにはまだ日がありますが、来年の干支に因んでちょっと報告します。

 下の写真は岡山県赤磐市奥吉原の熊山神社にある木製の牛です。

 神社がある熊山は標高500M、吉井川、児島湾を見下ろし、小豆島、四国を眺望できる景勝地です。

 この牛は、神社の本殿両脇に、もう片方の側にいる馬とともに、祀られています。

 素朴な農村の牛馬信仰と考えればそれだけのことですが、事ここに至るまでには、なかなかの歴史がありました。

 

 

 そもそも筆者がこの場所の存在を知ったのは、三島由紀夫「鏡子の家」です。

 「鏡子の家」に登場する4人の若者のうち、最も肯定的に描かれたとも解釈されるのが日本画家・夏雄です。

 その夏雄が制作不能から立ち直るきっかけとなった神秘道の勉強、その勉強のなかに仙境として出てくるのがこの熊山なのです。

 起源は巨石信仰、磐座信仰の地と思われますが、その後については諸説あり、修験道場の性格も持ちながら、神社と寺の並存の状態で明治維新を迎えます。

 そして問題は廃仏毀釈、地域の永年の信仰を無視した上からの強制措置が実施されます。

寺は放棄されて潰えたとされていますが、実際には穏やかならざる暴力的紛争があったのではないかと筆者は推定しています。

 残った神社が実はそこで困ったことになりました。祭神はそれまで熊山権現、熊山明神とされていたのですが、権現、明神は仏教的概念であり、廃仏命令下で踏襲することはできません。

 祭神が不明となったのです。取り敢えずは「クマヤマノカミ」あるいは「クマヤマヒコノカミ」とし、その後「オオクニヌシノミコト」ということになりました。

 伝統なき信仰には無理があり、素朴なところで牛馬神を祀るということにして信仰を維持した結果がこの写真ということになります。

 日本人の信仰とは一体何なのか、祭神の取っ換え引っ換えはいい加減といえばいい加減、名義に左右されることなどなき揺るぎなさ信仰とすれば揺るぎなき信仰、考えさせられるところです。 

 なお、熊山の「クマ」は朝鮮語の「コマ(高麗)」を起源とし、朝鮮半島との結びつきを示すという説があります。

 また、寺のあった場所には奈良時代のものとされる巨大な石積み遺構が破壊を免れて残っており、それがいったい何なのか、定説がありません。 

 さらに、隠岐に流される後醍醐天皇を奪還するために児島高徳(実在疑問説もある。)が挙兵した地ともされています。