2020年10月20日

 

 前首相が秋の例大祭とかで靖国神社を参拝したことにどれだけのニュース性があるのか。加藤官房長官は記者会見で、質問に答えるかたちで、安倍氏が個人として判断したことであって政府としてコメントする立場にないとした。当然のことである。前首相として一定の敬意が払われるであろうが、健康上の理由だとはいえ戦意喪失により辞任した前首相である。政治力学上はもはや過去の人だと筆者は思う。そんな人が靖国神社に参拝してもニュース性はほとんどない。にもかかわらず、NHKはニュースとして流した。

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」というだらしないネーミングの組織が、新型コロナの影響で、みんなぞろぞろの遠足のような参拝を中止し、正副会長が代表して参拝したということもNHKは報道した。コロナの影響を受けたなどということは世間にいくらでもころがっている。代表による参拝方式の変更などということに、これもまたニュース性はない。

 

 なぜ、こんなことが起るのだろうか?

 靖国神社の存在感を高めたいという目的意識がNHKにあるとは到底考えられない。そのような誤解を受ける可能性は極力回避したいというのがNHKのスタンスであろう。靖国神社に関してNHKの主体性はないとするのが妥当であろう。

 靖国神社参拝を取り上げよという右サイドからの圧力を忖度し、かつ事実の報道であって中立性は保持しているという左サイドへの弁解は成り立つという読みによって、NHKの判断がなされたということも考えられる。スガ首相がNHKを所管する総務大臣時代に総務省のNHK担当課長の首をすげ替えたというようなことが伝えられている。人事による支配に躊躇なしというのがスガ政権の今や看板となっている。指摘を受ける前にあらかじめ措置しておこうという忖度が、霞が関のみならず、権力の及ぶ各所にじわりじわりと広がっている。それだと考えることもできる。

 靖国神社はひとつの政治的イシューである。そういう認識がいつの間にか固定化されてしまって、悲しき職業的反応としてニュースとして取り上げてしまったという、心意気なきサラリーマン根性による、ジャーナリズムとしては失格の対応ということも考えられる。

 

 原因の究明はNHK内部からの告発でもないかぎり不可能であろう。告発すべきことという問題意識が組織から失われてしまっていることも考えておかなければならない。しかし、こんなことの繰り返しがいつの間にか、靖国神社参拝に市民権を与え、靖国神社のはらむ異常性への国民のアンテナを鈍らせていくことになっていくことに注意しなければならない。靖国神社はそもそも戦意発揚のための国民の精神動員のための装置であった。死者を悼むという人々の自然の感情を利用した非道徳な装置であった。決してA級戦犯合祀だけが靖国神社の問題なのではない。

 知らず知らずのうちに外堀が埋められている、本気で抵抗しようと思ったときには「夏の陣」ということがある。靖国神社問題のみならず、社会のすべての面においてそのことを考えておかなければならない、そういう時代を我々は迎えているようだ。