2020年7月24日
「自己決定権」を考えさせる2つの事件について、それぞれ述べる。
まず、ALSの女性に対する2名の医師による嘱託殺人について。
マスコミは一斉に自殺否定、「積極的安楽死」否定という大原則でキャンペーンを張っている。しかし、「自己決定権」の尊重という原則から考えた場合、自殺、「積極的安楽死」はなぜ許容されないのかということについて、マスコミはまったく頬被りしたままで、そのことを考えようとする態度を見せていない。根拠不明の「生きることはいいはずだ」という線を維持するだけで、本人の「自己決定権」との関係をいかに考えるべきかという問題を取り扱おうとしていない。この問題は、言うまでもなく、マスコミの問題に留まるものではなく、社会全体の問題である。
愚見を述べる。自殺、安楽死を決定した「自己」は、本人の中のほんの一部でしかなく、本人全体を代表しているとは言えない。自殺、安楽死を決定した「自己」を仮に「大脳的自己」「表層的自己」と名づけておこう。人間には「大脳的自己」「表層的自己」にとどまらない「身体的自己」「深層的自己」がある。「大脳的自己」「表層的自己」は「身体的自己」「深層的自己」の存在を一般的には認識していない。認識していない「身体的自己」「深層的自己」の声を聞かずに「大脳的自己」「表層的自己」は自殺、安楽死を決定している。これは「自己決定権」の行使として不十分性があると言わなければならない。「大脳的自己」「表層的自己」は「身体的自己」「深層的自己」の声を聞く必要がある。
次は、都立病院の20代の看護師が熊本の実家の豪雨被害を心配して帰省し、熊本でコロナ感染が判明したということについて。
このことについて都と病院は「看護師の帰省は『不要不急の都外への移動』とまでは言い切れないと考えるが、結果として、熊本市及び入院中の医療機関等にご負担をおかけしていることを重く受けとめている」とのコメントを発表している。
熊本市及び入院医療機関に対して申し訳ない気持ちを表明することについては礼儀ある態度であり、異議のあるはずもない。問題はコメント前段の看護師の帰省が不要不急か否かということについての言及である。
都が都民に対し「都外への不要不急の移動の自粛」を求めていることは事実である。しかし、何が「不要不急」であり、何が「不要不急」ではないのか、ということについては都民の判断にゆだねているはずである。ゆだねたくないのであれば、例示でもかまわないから指針がはっきりと都民に対して示されなければならない。都民の判断にゆだねるという判断をした以上、都民の具体的判断に対してはくちばしをはさまないという態度が堅持されるべきである。「自己決定権」を認めた以上「自己決定権」を尊重し、貫徹させるべきである。行政のきちっとした振る舞いが確保されないと、人々の間でルールなき取締、相互監視、相互規制、私的告発、悪口、誹謗中傷、いじめ、村八分といった好ましくない、弊害の多い、下品な社会を招くことになる。非公然権力を発生させ、人間を卑しくさせる。その社会的コストは極めて大きい。