2020年5月26日
戦前の花柳界の実態を描いた徳田秋声の小説「縮図」(題名はまさに花柳界の縮図という意味であろう。)の最終盤に髪結いのお梅さんが登場する。そのお梅さんは髪結いだった自分の母親がモデルである、と亡父が語っていた。すなわち、お梅さんは筆者の祖母だと亡父は語っていたのである。祖母は3月10日の東京大空襲で死んでいるので筆者は会ったことがない。お梅さんは祖母なのだろうか?年齢が15歳ぐらい合わない、髪結いを開いていた場所も玄冶店と浜町とで、近いがピタリではない、という問題はあるが、小説のことだからそのぐらいの変更は十分にあり得る。亡父の説に何か根拠となる具体的な事実があったのかは知らない。あればそれを話しているだろうから、小説に書かれている店の様子、お客とのやり取りなどから、これは自分の母親だと直感したということなのではないかと思っている。
小説「縮図」は未完の小説である。昭和16年6月(まさに太平洋戦争が始まる直前)に都新聞(現在の東京新聞)に連載が始まり、時節柄風紀上好ましからずという当局からの指示があったと推定されるのだが、9月に休載を余儀なくされた。その後徳田秋声は病に倒れて亡くなってしまい、小説は未完となったのである。
髪結いのお梅さんは、小説内ではほとんど活躍することはなく、しかし、その割には固有名詞をもって登場するし、人物解説もなされている。徳田秋声の構想にお梅さんをこれから少しばかり活躍させる予定があったのかもしれない。小説が完成していれば、お梅さんが私の祖母であった可能性を判断する材料がもう少し加わることになっていたかもしれない。惜しいことであった。
お梅さんが登場する部分を以下に引用しておこう。2か所だけである。付記したページは昭和21年7月小山書店発行の本のページである。ちなみに定価は4拾円。( )内は付せられているルビと筆者による注である。
「 お神(主人公の芸者・銀子のいる芳町の芸者置屋「春よし」のおかみ)は抱へ(自分のところで抱えている芸者たち)の著物(きもの)を作る度に、自分のも作り、外出する時はお梅さんといふ玄冶店の髪結に番を入れさせ(予約を入れ)、水々とした大丸髷を結ひ、金具に真珠を鏤(ちりば)めた、ちよろけんの蟇口型の丸いオペラバッグ(大き目のハンドバッグということか?)を提げ………」(267ページ)
「 さうした近頃の銀子の素振に気づいたのは、芸者の心理を読むのに敏感な髪結のお梅さんであった。彼女は年も六十に近く、既に四十年の餘もこの社会の女の髪を手がけ、気質や性格まで呑み込み、顔色で裡(うち)にあるものを嗅ぎつけるのであった。年は取っても腕は狂はず、五人の梳(すき)手を使って、立詰めに髷の根締に働いてゐた。客は遠くの花柳界からも来、歌舞伎役者や新派の女房なども此処で顔が合ひ、堀留あたりの大問屋のお神などの常連もあるのだった。家は裕福な仕舞うた家のやうで、意気な格子戸の門に黒板塀という構へであった。
「晴子さん(銀子のその当時の芸者として名)、あんた此の頃何考へてるんです?」
彼女は鏡に映る銀子の顔をちらと覗きながら、窃(そっ)と訊くのだった。
「何うしてゞす。」
銀子は反問した。
「何だか変ですよ。私この間から気になって、聞かう聞かうと思ってゐたんだけれど、貴女の年頃(銀子は当時二十歳のはず。)には兎角気が迷ふもんですからね。偶然(ひょっ)としたら、今の家(今の芸者置屋)に居辛くて、住替(他の芸者置屋への異動)でもしたいんじゃないですか。」
「別にさういふ事もないんですけれど。」
「それなら結構ですがね。住替もいゝけれど、借金が殖えるばかりだから、まあ可成(なるべく)なら辛抱した方がよござんすよ。」
「さうだわね。」
「それとも何か岡惚でも出来たという訳ですかね。」
「あらお師匠さん、飛んでもない。」
「それにしても何だか変ですよ。若しかして人にも言へない心配事でもあるんだったら、私好いこと教へてあげますよ。」
「何んなことですの。」
「日比谷に桜田赤龍子といふ、人相の名人があるんですがね。実に能く中(あた)りますよ。何しろ直(ぴた)りと前へ坐ったばかりで、其の人の運勢が悉皆(すっかり)わかるんですからね。その代わり見料は少し高ござんすよ。」
「さう。」
「瞞されたと思って行って御覧なさい。」
お梅さんはさう言って、道順を丁寧に教へるのだった。 」(279ページ~281ページ)
まあ、これだけのことなのでした。