2020年3月5日
冷静に対策を講じていく能力を内閣は完全に喪失してしまっている。
すでに新型コロナウイルス汚染国となっている日本にとって今回の措置が疫学的に是認される余地はない。一方、経済的打撃、悲劇的出来事の多発は計り知れない。
バランスをまったく欠いた非合理的対策だ。にもかかわらず、専門家を含めて多くの国民は内閣が決定したのだから合理性があるに違いないと根拠なき追認をするであろう。
しかし、もはや内閣はわけがわからなくなって、自分の持っている権力を振り回しているだけだ。今回の対策決定は病理的現象として捉えるのが適当なたぐいのものだ。
このまま進めば、北海道の武漢化、アメリカからの入国禁止、批判的報道の規制、人々の日常的行動の強制等へと対策が進んでいきかねない。
大政翼賛的雰囲気が日本をますます相互監視と忖度蔓延の世の中にしていくだろう。
ところでここで頭を冷やして考えてみると、今回のことで各所で様々な犠牲が発生したとしても、悲劇は悲劇で許しがたい人為的悲劇ではあるものの、戦争に突入することに比べれば、その悲劇性の程度ははるかに低い。戦争に突入するような事態になれば具体的に目の前で人々の血が流れる。悲惨が実際に肌に触れる悲惨となる。敵がウイルスの場合と人間対人間の場合とではその差はとてつもなく大きいはずだ。戦争に比べれば余裕はある。
そこで今回の事態を日本が戦時体制になるモデル的実験的事態と考え、その場合の社会の各界各層の動きをじっくり観察するとともに、大勢に逆らって生活して行くことがどのぐらい可能なのかを試してみる機会としたいと筆者は思うのだ。現在の状況を乗り切るために今必死の状態で苦しんでおられる方々には誠に申し訳ないことだが、そうとでも考えないとこの不条理に到底耐えられそうもないのである。