2019年12月13日

 

 井筒俊彦全集第一巻「アラビア哲学」(慶応義塾大学出版会)にはさみこまれている月報第1号(2013年9月)に掲載されている中沢新一氏(宗教史学者)の文章「馬上の若武者」で以下のような感動的な一節に遭遇したので紹介させていただく。ここで中沢氏は井筒俊彦を「騎士」として讃えているのだが、自分自身の自慢も少ししている。しかし、それはどうでもいいのであって、筆者はこの一節を「老い」というものを考えるにあたってのヒントとしたいと思うのである。

 

「 騎士はこの世の常識に逆らって、苦しみながら、真理の源泉に接近していこうとする。その泉に触れ、泉の水を飲んだ者は、原初の意味を喪失し、歪み、劣化してしまった世界を、もう一度よみがえらせ、若返らせる力を与えられる。騎士とは世界を初期化しようとする探究者の呼び名であるが、泉の水に触れんことを求めているうちに、自分自身が劣化しない存在であることを保ち続けることができる。それゆえに騎士はたとえこの世で齢を重ねたとしても、いつまでも「馬上の若武者」なのであり、それが「青春 juvénilité」の原義である。」