2019年7月21日
朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第312回です。
【俳句】
一村の・半分濡らし・白雨去る (霧島市 久野茂樹)(長谷川櫂選)
(水墨画を見るが如し。)
蛍に・生命線を・読まれけり (横浜市 渡辺萩風)(大串章選)
(手のひらからすぐには逃げていかないでくれる蛍。)
縮みゆく・日本の国に・水を撒く (柏市 藤好良)(高山れおな選)
(粋な政治活動ですな。ひしゃく、バケツ、如雨露、ホースなどが政治的メッセージ性を得る。)
唯生きて・ゐる丈でよし・五月来る (藤沢市 細井華人)(稲畑汀子選)
(消極的自己肯定、ではなく、東洋哲学の本質に迫る。)
【短歌】
行きつけの・三味線屋とか・足袋屋とか・なくなってゆく・東京の街
(東京都 伊東澄子)(佐佐木幸綱選)
(「三味線屋」「足袋屋」に加えて、「とか」という物言いがかわいい。)
流れ者・なれば現場の・最後の日・「また何処かで」と・声を掛け合う
(東京都 津和野治郎)(佐佐木幸綱選)
(筆者もまた、仕事の性格は異なるが、ゆえに周期も異なるが、流れ者なり。)
あとなんねん・わたしがわたしで・ゐられるか・どてのてすりに・もたれておもふ
(名古屋市 吉田周子)(永田和宏選)
(むずかしく言えば「大脳的なわたし」「意識としてのわたし」。それらが失われても「残るわたし」もある。それは自分か、他人か?「親しい他人」といったところか。)
六尺の・青大将を・屠(ほふ)りたる・雉子(きじ)昂然と・大地をゆけり
(福島市 青木祟郎)(馬場あき子選)
(筆者もキジ対ヘビの闘いを実見したことがある。その時は勝敗の帰趨がわからなかった。)