2019年6月15日

 

 

 例の老後生活費2千万円不足の問題である。これほど登場する者たちがすべておバカという事件も珍しい。総合して何か意義あるものが生まれているのかといえば、それもまったく無い。この事件でわかるのは、日本の中枢でバカバカしい知性の浪費が行われているということだけだ。この問題を取扱う本稿もまた知性の浪費ということになる。トホホ……。

 

 

 政府は長い間国民の株式投資を促進する政策をとってきた。「貯蓄から投資へ」というスローガンがそれだ。国民を博徒・株屋化し、社会をカジノ化し、日本国民・日本経済を劣化させるもので、国民経済的合理性は皆無の政策である。政府が国家的観点を忘れ、証券会社のお先棒を担いだのである。今回の老後生活費2千万円不足問題を発生させた金融庁の審議会の報告書は、この路線に沿ったものだ。そして、国民の資産形成~簡単に言えば株を買えということ~を促すために都合のいい数字を拾ってきただけのことだ。その数字があろうとなかろうと、老後の生活資金は多いに越したことはないのは当たり前のことである。報告書のメッセージは、老後に備えてお金をたくさん作りましょうというだけのことだ。2千万円という額には何のリアリティもない。2つの数字の差を単純に出して余生の期間を乗じただけのものである。小学生の夏休みの宿題として「よくできました」程度のもので、審議会の委員又は金融庁の事務局のやっつけ仕事だ。(関係ないが、イージス・アショアの不適地計算の防衛庁のやっつけ仕事はもっとひどい。)

 

 

 野党、マスコミは、ちょっとずるい。老後2千万円不足は年金とはほとんど無関係だ。年金が不十分なものであることは、一般的なその水準の低さ、莫大な数の無年金者の存在等々、だれでも知っていることだ。2千万円不足という報告書によってはじめて知ることでも何でもない。年金の問題は年金の問題として扱われるべきだ。この2千万円不足の話は前述のとおり株買い促進のための思いつき的な算数にすぎず、年金問題として取り上げるべき問題ではない。参院選の格好の材料として、野党はすべてを重々承知の上で国民を煽っているのだ。

 2千万円不足問題は年金問題としてではなく、別の観点から問題にされるべきだ。すなわち、政府が証券会社の代弁人となって国民の株購入を促進していること、その結果として国民が決してハッピーになってはいないこと、証券投資優遇税制は一部の金持ちの優遇でしかないこと、これらの問題を追及するきっかけとして野党は使うべきなのだ。(野党には「貯蓄から投資へ」という路線についての問題意識がそもそもないのではないかという懸念を筆者はもっている。そうだとすると野党にこの問題を追及する力はないことになるのだが……)王道を外れて国民を煽る戦術的対応は野党に一時的勝利をもたらせたとしても、真の実力を持つことにはつながらず、むしろ野党の質的低下を招くことを肝に銘ずべきだ。

 

 

 政府与党、こちらはすいませんとあやまって、審議会報告書を受けとらないなどと言って問題から逃げている。一般国民への株式投資促進はそもそも非合理的政策だが、その非合理的政策をよしとしている政府の立場からすれば、審議会報告書は受けとりを拒否するような内容のものではない。政府の注文に応じて忠実に資産形成の必要を説いているのである。しかし、国民を説得するには内容的に不十分なものにとどまっている。すなわち、資産形成のための株式投資を促進する上で何よりもまず前提となることは、言うまでもなく株式投資が儲かるということのはずだ。この前提がなければ話のすべてがはじめから成立しないことになる。しかし、この前提に政府が言及することはまったく不可能だ。その前提は不確実でしかなく、政府は保証することができないからだ。株を買いましょう、しかし儲かるか儲からないかは時の運です、としか言えないのだ。このような本来的に不十分性のある株式投資促進政策を推進する政府とは、やさしく言って無責任、厳しく言って反国民的だ。国民がギャンブルの餌食になることを意に介さない政府だということだ。

 

 

 これだけのナンセンスが平然と成り立っているのに理由がないはずがない、裏には体制の深謀遠慮があるのではないだろうか?実はこれが本論だ。

 老後のための資産形成としてだれもが株式投資をする社会が仮にできたとすれば、老後の生活が経済的に悲惨となった者に対するセリフとして、「あなたの買った株がまちがっていたから」という、悲惨の原因を本人の自己責任とするセリフが成立する。社会的敗者にそのような自己責任の意識をもたせること、すなわち「自分のすべてのことの自己責任化」は、所得分配の不平等による社会の不満、それが生む体制危機を回避する上で極めて重要である。国民の間で株式投資が一般化しているということはこの重要な条件の成立のために好都合である。チャンスにおいて平等だったのに結果において勝ち負けが生ずるのはそれぞれの努力の結果であって社会が悪いのではないというストーリーを株式投資の世界は成立させるからだ。(もちろんストーリーが外見的に成立しているように見えるだけで、真実でも何でもない。)株式投資促進政策がこの目的のために実施されているとの証拠があるわけではない。しかし、「自分のすべてのことの自己責任化」、この好都合の甘い味を所得分配の不平等の受益者側、すなわち勝ち組、が知らないはずがない。株式投資促進政策の本質とは、すなわち「自分のすべてのことの自己責任化」という事実にまったく反する心理を人々に埋め込むという、勝ち組の立場からのマインド・コントロール政策なのだ。多くの国民がこのマインド・コントロール政策の犠牲になって、ある場合は身近の人間を非難して家族の崩壊を招き、ある場合は自己否定の感情にさいなまれて不幸な人生を送っている。「所得分配の不平等という事実を肯定化するイデオロギー」、勝ち組が担ぐこのイデオロギーの普及策の一端を株式投資促進政策が担っているのだ。