2019年6月11日

 

 

 「資本主義と闘った男~宇沢弘文と経済学の世界」(佐々木実著・講談社)を読み終わった。

 宇沢弘文(1928.7~2014.9)は世界の最先端に立つ数理経済学者であった。しかし、1968年活躍の舞台であったアメリカを突然去って日本に戻った。アメリカで優勢となった新古典派経済学への批判、ベトナム戦争反対運動がきっかけとなったようだ。日本に戻ってからは「自動車の社会的費用」を著わし、水俣病、三里塚等に関わり、「社会的共通資本」という概念を生み出した。無制約の市場経済システムが「不正義」をもたらすことを明らかにし、「社会的共通資本」は市場経済にゆだねてはならないとした。

 本書はその宇沢弘文の思想過程を丁寧に追った、みごとな一代記であり、また経済学の世界の全体を展望する上でもとても有益な書である。経済学を学んだ者、学んでいる者、これから学ぶ者にとっての必読書と言えるだろう。

 

 

 ところで、本書でその言葉は使われていないが、宇沢弘文は最終的には「挫折」した。成田闘争を和解に導くために設置されたいわゆる「隅谷調査団」のメンバーとして大活躍し、和解のための閣議決定をもたらせた後、宇沢弘文は「三里塚農社構想」の実現に向けて奔走する。そしてそこで「挫折」するのである。また、他の分野においても宇沢弘文の意に沿わない政策決定が宇沢弘文に比較的近かったところから続々となされるのである。

 

 

 なぜ、あれほどまでに有能で、活動的な宇沢弘文が「挫折」したのか?本書を読み終わってそれを考えないではいられなかった。

 資本主義によって打撃を受け、資本主義の「不正義」を知り、資本主義と闘う人間は、資本主義的精神を克服した人間であるという宇沢弘文の思い込みに誤りがあったからではないか、というのが筆者の仮説である。

 資本主義社会の中で生きていくためには市場経済システムに巻き込まれざるをえないのであり、いかに資本主義を敵として闘おうと、自給自足の生活が不可能な条件のもとでは、ホモ・エコノミクスであることは免れないのである。簡単に言えば、この社会で一般人が身すぎ世すぎしていくためには、この社会の仕組みを前提にしたいわゆる世間知というものを駆使して処世していかざるをえないのである。

 その冷厳な事実に対して宇沢弘文はそれを許さなかった。三里塚農社構想に加わる仲間は資本主義的精神を完全に克服した人間であると期待した。その結果、現実に裏切られることにならざるをえなかったのではないだろうか。晩年、自分の期待する人間像に合致する仲間を得られなくて宇沢弘文は「孤独」だったようだ。

 

 

 最後に宇沢弘文の教え子であり、2001年にノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツの発言を本書から引用しておく。

 

 「経済学における問題のひとつは、〝きまぐれ〞だということですよ。同じ問題、同じ方法でも、ある時期には〝流行おくれ〞とされ、別の時期になると〝流行〞したりするんです。アメリカの経済学に関して言えば、1975年から2008年までの30年間は〝酷い時代〞だったといっていいかもしれない。

  この時期、経済学界ではヒロ(宇沢弘文のこと)がつねに強い関心を寄せていた〝不平等〞や〝不均衡〞や〝市場の外部性〞の問題はあまり注目されることがありませんでした。経済学の主流派はみんな〝市場万能論〞に染まってましたから。 

  ヒロが成し遂げた功績にふさわしい注目を集めなかった理由は、意外に単純です。つまり、「(経済的な)危機など決して起こるはずがない」と信じ込んでいる楽観的な経済学者たちの輪の中に、ヒロが決して入ろうとしなかったからなのですよ」