2019年4月12日
統一地方選挙というのが行われていて前半が終わり、後半に移っているようだ。我が居住地でも市議会議員選挙が行われる。定数以上の立候補があり、いちおう戦いということになっているようだ。そこで筆者が不思議に思うのは、その戦いの内容だ。無所属も多いが、国政政党を名乗って戦っている候補もたくさんいる。にもかかわらず、国政上の問題が事実上ほとんど語られていないのだ。もしかすると我が居住地だけのことなのかもしれないが、市内のどの地域からの候補かということがかなり重要で、語られるとしても市の範囲のことにとどまっている。国政レベルの憲法改正、外交、防衛、財政再建、経済政策、社会福祉政策、外国人対応を含む労働政策などはまったく取り上げられないのだ。
市の範囲のことももちろん重要だ。橋が架かるトンネルが通るということは孫子の代まで大きな影響のあることだ。しかし、それと同等以上に国政レベルの問題の帰趨は孫子の代に大きな影響を持つ。国政レベルの問題は、橋もトンネルも、地域全体も、孫子の命も、一挙に吹っ飛ばしかねないものだ。そして地方の政治家たちが国政レベルの問題にどのような考え方を持ち、どのような態度を取っているか、そして今後どのような動きをしていくのかということは国政に極めて大きな影響を持つものである。
こんなことは今さら言うまでもないことであり、みんなそれはわかっているはずだ。にもかかわらず、市議会選挙で国政レベルの問題は語られないのだ。
このような地方政治のドブ板状態は何とか改善されなければならない。改善されなければ我が国はいつまでも地元への利益誘導を争うだけの低レベルの民主主義にとどまり、社会の運営に広く市民がかかわるという真の民主主義への成熟を期待することができない。
9条改正問題について自分の考えを持たない政治家などは政治家の名に値しない、政治家失格だ。そんな失格政治家が政治家を志す動機などはろくなものではない。そんな政治家は必ず淘汰されるような体制が構築されていなければならない。
報道各社は協力して国政レベルの設問を作成し、地方議会議員の候補者にアンケートを行い、その結果を有権者に提供したらどうだろう。そして地方での国政についての議論を促したらどうだろう。考える候補者、考える有権者を育成していくことになるはずだ。