2019年4月5日

 

 

 現代金融理論(Modern Monetary Theory、略してMMTと呼ばれている。)というものがあるらしい。4日の参院決算委で自民党の西田昌司がこの理論を掲げつつ財政支出増加、財政再建不要を主張したという新聞報道があった。MMTとは「自国通貨で借入れができる国にとっては、財政赤字は大きな問題ではない。」「金利が一定のレベルに達するまでは財政支出をしてかまわない。」とする理論のようだ。

 

 

 財政支出拡大に「金利が一定のレベルに達するまでは」という条件が付いている。この条件となる「金利の一定のレベル」とはどのような性格のもので、どのように算定されるのか?そのレベルまでは財政支出をしていいとのことだが、そのレベルを超えた場合はなぜ財政支出を抑えなければならないのか?これらの疑問が明らかにされなければ、MMTの理論的正当性の判断のしようがない。財政拡大路線だという結論だけでこの理論を評価することはできない。

 残念ながら筆者はこれらの疑問への回答に接することができていない。その回答をここで推定しようと思うのである。

 

 

 実際にはあり得ないが、仮に無限の信用がある国家があるとすれば、その国家は無限に借入れを行い続けることができる。「無限の信用」とは返済能力が無限にあるということである。単なる名目額の返済ではなく実質的価値が維持されるという条件での無限の返済能力があるということである。その能力がその国家にあるならば、貸付者にまったく損害は発生しない。そうであるならば、その国家は無限の借入れを行い続けることができる。

 

 

 ところでMMTは無限の買入れを可能とするのではなく、「金利が一定のレベルに達するまで」という上限を設定している。「金利が一定のレベルに達するまで」という上限を設定した理由が、利払いが多額になることによる資金繰り上の問題であるはずはない。借入れ増加による資金の調達によってそれは克服できるはずだからだ。にもかかわらず、「金利が一定のレベルに達するまで」という条件を付しているということは、資金繰りの問題とは別の問題が想定されているということになる。その別の問題とは何だろう。

 

 

 「金利が一定のレベルに達する」とは、信用に問題が発生していて高金利でなければ借入れが不可能になっているということ、すなわち、「金利が一定のレベルに達する」とは借入れを行う国の信用がもはや維持されなくなっているということだろう。これが借入れから発生する問題としてMMTが想定している問題であろう。

 すなわちMMTとは「信用が維持されている限りにおいて借入れを継続できる」「信用が失われれば、借入れはできなくなる」ということである。そしてMMTでは、信用の状況は「金利のレベル」に現われると考えられているということになる。

 

 

 「信用が維持されている限りにおいては、借入れを継続できる」というのは当たり前のことであって、理論というに値しない。また、信用崩壊というものがある日突然、すなわち金利レベルでは同一条件であるにもかかわらず、何かのきっかけで一挙に発生するものだということがMMTではまったく認識されていない。

 「信用が維持される条件」とは何かということについて新たな考え方を提示できているのであれば、新理論かもしれない。しかし、MMTにそれがあるとは聞いたことがない。

 MMTは政策的影響が大きいと思われる割には理論的内容は空疎というほかはないのである。

 

 

 内容空疎にもかかわらず、すなわち経済学理論という名に値しないにもかかわらず、「現代金融理論」などと仰々しいふれこみをしている。これは特定の利害を反映した、ためにするインチキのカモフラージュであろう。MMTとは、そういうふうに考えておけばよさそうな似非理論というほかないと筆者は考える。

 

 

 かつて、ジョーン・ロビンソン(1903~1983、イギリスの経済学者、ケインジアン)は「経済学を学ぶのは、経済学者にだまされないようになるためである。」という趣旨の発言をしたという。そのことが想起される。