2019年1月14日
決定、発表のタイミングはわからないが、稀勢の里の引退は事実上決まった。期待に応えられず、ふがいない横綱だった稀勢の里に対する強い批判もあるだろう。しかし、ことの経緯にかんがみれば、稀勢の里は犠牲者、被害者と考えるべきだ。
稀勢の里の横綱昇進をもたらせたのは、外国人力士が相撲界を席巻する中で日本人横綱を求めるという「世論」だった。いや、そういう「世論」があるはずだという想定のもとでの話題作り~NHKの大相撲の報道振りにはそういう傾向が著しい~そのために勝ち星が要件に達したという単純な指標だけで、重要な取組での弱さという精神面の問題が明らかにあったにもかかわらず、稀勢の里は横綱に祭り上げられたのだ。
精神面の充実を待ってから横綱に昇進をさせていたら、稀勢の里には別の相撲人生があったかもしれない。しかしもはや、それを確認すべくもない。不名誉という重い荷物を背負って、彼は相撲界から去っていかなければならない。
庶民大衆は、NHKの世論操作に引っかかったとはいえ、ひとりの若者をまったく無責任に「消費」した。今場所の終了時点で、もはや稀勢の里は人々の間で話題にされることもないだろう。はかばかしくない過去であって報道的価値はなく、マスコミは見向きもしないからだ。
一連の事態について庶民大衆は、一時の熱狂をあっけらかんと忘れて、提供されたものを「消費」しただけだ、そこにいったいどんな問題がありうるのだろう、という立場をとるにちがいない。しかし、この「消費」において庶民大衆をイノセントとすることができるだろうか?不健全さがなかったということができるだろうか?
ひとりの人間がつぶされた。みんなによってつぶされた。それぞれがつぶしたみんなのうちのひとりなのだ。
稀勢の里の人格的ダメージが少しでも小さいことを祈る。