2018年8月28日

 

 

 何々主義者というレッテル貼りは本人が何々主義者であると宣言でもしていないかぎり否定されるのが常である。何々主義者というレッテルの抽象度が極めて高く、具体的人間の複雑性を余りにも無視しているからである。

 竹中平蔵を市場原理主義者とすることも同様であって、数々の実証的反論によりそれは否定されるであろう。しかし、ある時期の竹中平蔵の主張が市場原理主義とされかねないマーケットメカニズム信仰の立場であり、その立場から規制緩和、行政改革その他の政策提言を繰り出していたことは事実と言わなければならない。

 また、純粋の理論家の立場をとらず、現実的政策提言を課題とすることを選んだ場合には、世の中の振り子の振れ具合に応じてその主張を変化させることは、激変による社会的摩擦を何よりも忌避する成熟社会においては、むしろ自然のこと、当然のこととも言える。純粋の理論家の仮面をかぶっての政策提言に対する倫理・道徳的な問題はあり得るが、政策提言はプロに近い知識層を対象になされていたのであり、理論的不十分性を竹中平蔵に突きつけられなかった知識層側に責任の半分はあると言うこともできる。

 

 

 さて、いずれにしても、市場原理主義者と誤解されかねない主張を展開してきた竹中平蔵がガラリと主張を変えているラジオ番組に今朝遭遇した(8月28日(火)6時43分NHKラジオ第1「社会の見方、私の視点」)。

 そこでの竹中の主張の結論は、究極の所得再分配政策ともいうべきベイシック・インカム政策を検討すべきというものであって、竹中の論理展開は以下のとおりである。

 すなわち、トランプに代表されるポピュリズムによって世界の自由貿易体制が大きな打撃を受けようとしている。自己利益を追求するつもりのアメリカを含め、世界は大きな経済的打撃をこうむることになる。このようなナンセンスなポピュリズムの席巻を許した経済的背景は、所得格差の拡大、それがもたらした社会の分断である。アメリカでいえば、東海岸の金融、西海岸のITの繁栄の一方での中西部の従来型産業の衰退というのがそれである。同様の事態が世界各国で生じている。この事態への対応にはしっかりした所得再分配政策がとられなければならない。すなわちベイシック・インカム政策導入が必要である。

 

 

 明らかに主張が変化した竹中平蔵を個人攻撃することには何の実益もない。彼は政策説明のわかりやすさという特技をもった優秀な学者タレントである。攻撃するよりは活用されるべきだろう。

 我々としてしっかり認識しておくべきは、竹中の主張変化は竹中個人のことではなく、竹中の主張変化は「総資本」(便利なので取り敢えずこの単語を使っておく。)の状況認識の変化の象徴として登場しているということである。安倍の三選があろうとなかろうと、アベノミクスの転換は必至ということである。そしてもしかすると、それは小さな政府から大きな政府という方向転換かもしれないということである。