2018年5月7日
世間の右傾化がかなり進んでいることに衝撃を受けた。
さいたま市の公民館の俳句サークルで秀作に選ばれた俳句が、通常だったら公民館だよりに掲載されるのに掲載されなかったことについて裁判になっている。「『九条俳句』訴訟」と呼ばれているそうだ。昨年10月双方痛み分けみたいな地裁判決が出て双方控訴。控訴審判決は18日(火)だそうだ。
「梅雨空に・『九条守れ』の・女性デモ」。これが問題となった俳句である。
公民館側の主張は「公平中立の観点から掲載は好ましくない」というものだそうだが、言うまでもなく右翼への穏便クソの忖度だ。
この話に驚いて話題にしたら、実はこういうこともあるとの情報を得た。
こちらは別の地方の川柳サークルだ。リーダーにこう言われたという。「反安倍では新聞に掲載されませんよ」。
川柳の重要な要素の1つに、権威を揶揄するということがあるはずだが、そのことをわきまえない、川柳サークルのリーダーとしての大失格発言と言わざるをえない。
そして、問題は、リーダーが安倍支持者というわけでもないのに、こういう発言をしたというところにある。風見鶏的なリーダーが世間の風をそう判断してこの発言となったというところにある。リーダーが中庸と考えているところがかなり右に寄っているのである。
右翼が右翼的発言をするのは当然のことである。怖れるに足りない。しかし普通一般の人たちの相場観による忖度が右へ右へと傾きだしたら、それは心配しなければならない。
「政治性がありそうですが、どうしましょう?」「穏便に取り扱うのがいい。」「それでは静かに、問題とせずに、掲載ということに。」「いやいや、それではまずい。気づいたらあの人たちは黙ってはいまい。不掲載にするのが適当だろう。」「さすがリーダー、立派な御判断です。」
ファシズムとはこういうものだ。