2018年4月12日

 

 

 伊東光晴先生は1927年生まれ、現在90歳か91歳のはずである。現実の問題に常に目を光らせている先生が、世界5月号で根本的なアベノミクス批判を展開された。題して「安倍経済政策を全面否定する」。いささかの妥協も許さない、峻厳な先生の姿勢はこの題名にもはっきり現われている。印象的な部分をここで紹介しておこう。

 

 

 一般にアベノミクスの効果として、円安、株高、雇用情勢の好転があげられる。アベノミクスに批判的であっても、これらの事実は認めるという立場の人も多いような気がする。

 しかし、伊東先生はそのことも認めない。すなわち、アベノミクス開始(第2次安倍内閣発足(2012.12.26)、金融の大幅緩和の決定(2013.4.4)、年金積立金管理運用独立行政法人の運用基本方針の変更(2014.10.31)以前から円安、株高とも始まっており、それをアベノミクスの効果と考えるべきではないというのである。

 この点に関しては、先生の反アベノミクス感情が勝って、いささか筆の勢いが強すぎていると考えられる。すなわち、アベノミクス開始以前から円安、株高が始まっているとしたらその要因は何だったのか、その点に先生は触れられていないというのが問題の第1点、そして第2点は円安、株高をアベノミクスが少なくとも支えた、維持したということは否定しがたく、先生もその否定まではいっていないからである。(なお、雇用情勢のことについては先生は本稿で扱っておられない。)

 

 

 先生は日本経済が「流動性のワナ」の中にいるという認識を示されている。日本経済の低迷に対して金融政策がちっとも効き目を現わさないという状況について、本来はもっと強調され、語られるべき経済学のキーワードであるにもかかわらず、「流動性のワナ」がなかなか語られないのはいささか不思議であった。先生が「流動性のワナ」を持ち出されたのは極めて適切であり、さすがに伊東先生と拍手を送らなければならない。

「流動性のワナ」という概念の再認識は、必ずや、どのような状況が「流動性のワナ」をもたらすのかという問題意識を呼ぶ。そしてそれは平均利潤率の長期的低迷という認識に至り、先進国全体が今日その状態に陥っており、日本の現象もその大きな傾向のうちの一つの現われであること、そしてさらにはそのことの背景は世界資本主義の基軸がそれまでの先進国グループから中国を先頭とする発展途上国グループへと移動している結果であるという認識を導くであろう。そのような認識の上で採られる経済政策は、正しい歴史認識を踏まえている結果として、的確なものとなることを期待しうるのだ。

 ただし、論稿の最終部分で先生が「日銀の政策は、超低金利をもたらし、「流動性のワナ」をつくりだしている。」とされているのはいただけない。「流動性のワナ」とは経済の基本的状態、体質といったようなものを表わす概念であり、政策の結果発生するような現象を表わしているのではないということに留意する必要がある。「流動性のワナ」という状態・体質を有している経済においては超低金利政策をとっても完全雇用状態をもたらすことができないのであって、超低金利が「流動性のワナ」を生じさせるのではない。「ワナ」はすでに仕掛けられているのであって、人為的に仕掛けられるものではない。

 

 

 アベノミクスの理論的支柱ともいうべき役割を果たしている日銀副総裁岩田喜久男に対して、先生は「ことばを極めた」と言ってよい、手厳しい言葉で批判をしている。

 すなわち、「岩田喜久男氏の主張については、理論的反論を加えることはできない。理論がないからである。理論があればどういう因果関係なのか検討できる。日銀が銀行等から国債を大量に買うと将来物価が上がるという期待が生まれるという。なぜなのか。原因と結果を結ぶ理論がない。」

 経済学者に対する批判として、これ以上の批判はない。学者に対してあなたは学者ではないと言っているのに等しい。

 岩田喜久男は小宮隆太郎の弟子である。弟子を批判されて小宮隆太郎は不快であろうか?決してそれは無いはずだ。小宮先生も伊東先生と同じように岩田喜久男の主張に対して、因果関係が説明されていないと批判されていたのである。

 

 

 物価上昇率2%目標がそもそも経済政策の目標たりうるのか、このことについての議論が極めて不十分であることを筆者はかねがね不満に思っていた。伊東先生はこの点についても怠りがない。

 「日銀は、黒田総裁をはじめ政策委員まで、物価を2%上げようとして、国債買入れを続けている。だがものの値段が上がる時は、ディマーンド・プルの力が大きいか、コスト・プッシュの力が強いか、政策者は見きわめなければならないのであるが、国債買入れの結果は、「流動性のワナ」どおり各銀行の日銀当座預金の増加となって、このディーマンド・プルとなっていない。」

 別言すれば物価上昇には健全な物価上昇と不健全な物価上昇がある。健全な物価上昇とは、経済の好調により需要が拡大する結果として生じる物価上昇である。すなわち、条件なしで物価がとにかく2%上昇すればいいというものではない。物価上昇率2%とはそもそも不適切な目標なのである。

 

 

 アベノミクスについては、「サドン・デス」と「クラウディング・アウト」という2つの危険の度合いをどんどん高めているという問題があるのだが、それについてはあまり触れられていない。「もし金利が1%上がったならば、国債の利子支払いが10兆円ふえ、たちまち予算編成がむずかしくなる。」とさらっと触れられているのが「サドン・デス」だ。「予算編成がむずかしくなる」ということの具体的イメージを持てば、それが「デス」の名にふさわしい内容であることに人々はおののくであろう。景気回復の兆しにより民間の資金需要が出てきたとき、国債償還のための資金需要と民間の資金需要が重なり、金利が高騰して景気回復の芽を摘んでしまうというのが「クラウディング・アウト」だ。この2つに伊東先生があまり触れなかったのはなぜだろう。アベノミクス批判に材料が多すぎるということだろうか、この2つには理論的問題があるのだろうか。大長老中の大長老の御見解を伺いたいものである。