2018年2月22日
貧富混住率という概念で現代日本社会の特徴を見出すことができるのではないだろうか。貧富混住率の今後の動きを予測することによって格差社会化が日本社会の安定にどう影響するかを予測することができるのではないだろうか。
貧富混住率とは、都市の一定地域において経済的階層差のある人々がそれぞれどのくらいの比率で混住しているかを表す指標である。筆者が思いついたもので、社会分析においてすでに採用されているのか、すでに洗練された指標算出の方法があるのかは知らない。
ポイントは都市最貧層をなすのはどういう人々か、その人々はどのような居住をしているかである。具体的には、都市最貧層に青壮年が多数となること、その青壮年がスラムを形成すること、このような場合、社会は不安定化するであろう。不安定化とは、犯罪率の上昇、暴動の発生、過激主義の台頭による政治の不安定化等をいう。
今後、日本において都市最貧層に青壮年が増加していくことは、いわゆるパラサイト・シングルを支える団塊の世代の能力喪失によって必至と考えられる。したがって、それを与件とすれば、都市最貧層青壮年の居住がどのようになるかが残るポイントになる。それを貧富混住率で把握しようというのである。最貧層混住率のほうがストレートかもしれない。
最貧層混住率が100%の地域、それは完全なるスラムである。50%超であればスラムの外観を呈するであろう。そのような地域が日本の大都市でどれだけ広がるか、それが問題の焦点である。
現在、スラムというイメージの地域は、東京・山谷、大阪・あいりん地区、横浜・寿町など極めて限られており、知らない人はほとんど知らない。これらの地域に居住する最貧層はほとんど単身男性から成る。このためスラムとは単身男性から成る地域とイメージされるが、今後は最貧層の女性を当然考えなければならないであろうし、そうなればスラムに家族が形成されることになる。したがって、スラムといっても現在のスラム街とはちがったものであるはずである。(関東大震災まで東京にあったという下谷万年町、芝新網町、四谷鮫河橋の3大貧民窟は家族を多く含むスラムであったと思われる。)
さて、推測するところ、現在の都市最貧層は、例外的にスラム街に居住する単身男子を除けば、これまで中流階級の居住地と認識されていた低層住宅街に広く分散居住していると考えられる。それら低層住宅街のアパート等の住居は、中流といわれる人々によって建設されたものである。そしてそれら建設者の多くが現在のところ引き続き当該地域に留まっていると思われる。その結果、それらの地域の最貧層居住率は一定程度にとどまっているであろう。
格差社会化の進行によってこのような低層住宅街はどうなっていくであろうか。
マンション用地として再開発される幸運な地域を除けば、建物の現所有者によって住宅の新規投資、更新投資が行われ、住環境が向上することは期待しがたいと判断される。多少の余裕のある人々は当該地域に投資し居住することなく、地域外へと出ていくであろう。中流から脱落して最貧層に向う人々は住宅投資をする余裕のないまま地域に留まるであろう。いずれにしても当該地域における住宅投資は極めて乏しいと推定される。結果として劣化する住宅はその相対的賃料を低下させることによって、支払い能力のない最貧層を呼び込んでいくであろう。そこには低賃金外国人労働者も含まれるであろう。同様なことは中級以下の分譲マンションにおいても発生すると思われる。すなわち、結果は当該地域における最貧層混住率の高まりとなる。
最貧層の地域集中はそれらの人々が自らを最貧層とする認識を促すことになる。社会への同化意識を弱めることになる。低成長経済が続くことによって社会の流動性が小さくなる。階層が固定化することになる。疎外感は上の階層に対する反発を強める。放置すればその帰結は日本社会の不安定化ということになるであろう。
このような傾向が読める状況に対して与野党はいかなる対処をしようとしているのであろうか。軍事化、ギャンブル化が話題になるが、まさか一つの対処としてそれらが打ち出されているわけでもなかろうが……。