2017年12月25日
朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第232回です。
【俳句】
短日の・鍋を焦がして・しまひけり (神戸市 藤井啓子)(稲畑汀子選)
(要領よく、いくつかのことを同時に処理しようとすると、こうなる。年齢も関係する。)
昼少し・鮒(ふな)の喰いある・小春かな (北茨城市 坂佐井光弘) (長谷川櫂選)
(さてこの無為の時間、無思考の時間でもあったろうか。無為を望むとき、無思考までも望んでいるだろうか。)
日向ぼこ・みな日曜の・顔ばかり (厚木市 北村純一)(長谷川櫂選)
(「みな」となると無思考とはいかぬ。人の噂の盛んなことであろう。当然、心は揺れる。外見とは違う。)
【短歌】
弁護士で・画家で大学・院生の・ダワーニャム・ビャンバドルジ・土俵を降りる
(蓮田市 斎藤哲哉)(佐佐木幸綱選)(馬場あき子選)
(組織の御都合主義によって個人が犠牲となる。そんな世間を見せられて相撲を楽しめるはずがない。さらば大相撲。来年から大きな時間ができる。)
飄飄と・時に晒(さら)され・今はただ・なつかしいだけの・母となりたり
(東京都 渡部鈴代)(永田和宏選)
(「虎は死して皮を残す」というが人の最後はなつかしさを残すのみ。自分もまた同様と思えば、無理してどうこうすることもない。)