2017年12月5日
例えばこの世ならぬ美声を持ち人々を夢に誘う歌手についての異性関係の嫌悪を催す情報、例えば世界中を震撼させる高速でトラックを駆け抜ける短距離陸上走者についての怪しい新興宗教に帰依しているとの情報、例えばいかなる豪速球も最優秀の動態視力と腕力で跳ね返す野球選手についての危ない思想をまき散らして有害この上ない政治家との交際についての情報、これらの情報によって我々は何かを得ないわけではないが、むしろとても大きくて大切な何かを失う損失のほうがけた違いに大きいであろう。
結局は営利原則のマスコミは、「知ることは価値」と商売に都合がいいスローガンを唱え、本気でその利害得失を考えたこともない「知る権利」を振りかざして、他人を貶めたいという人々の卑しい欲望に対応し、さらに市場を拡大するためにその欲望を掻き立てるべく、熱心に取材活動を展開するであろう。
無制約の食欲が健康を妨げるということを人々はよく知りながら、なぜ抑制されない知的欲望が自分たちの精神をむしばんでしまうことに気がつかないのであろうか。
「見ざる、言わざる、聞かざる」という知的禁欲は決して封建的支配の道具というだけの評価にとどまってはならない。人々が人間的であるために必要な精神的構えを支えるには、知的禁欲は必須の人間の叡知なのである。
人間的であるために必要な精神的構えとは何か。それは理性という拘束から解き放たれた、「超越」「美」「究極」への憧れ、志向、可能性の確信である。それがなければ動物的欲望に支配された日常性の泥沼から浮かび上がることができず、人々はすべからくニヒリズムに陥るであろう。
言うまでもなく、以上は大相撲をめぐる昨今の状況を悲しんで書き始めたものである。標題は12月4日の朝日新聞「歌壇俳壇」に掲載された高岡市池田典恵さんの俳句(大串章選)である。相撲のことから考えていたら宗教じみたことになって自分でも驚いている。