2017年5月28日
「共謀罪」法案がいよいよ最終局面を迎えている。議論は少々複雑で、世論調査では「どちらともいえない」が最大多数となっている。しかし、議論の対立をもたらせている根本は、そんなに難しいことではない。
「政府、あるいは警察が、悪意をもって、あるいは弾圧の意図をもって、この法律を運用することがあるか、ないか」、議論の本質はこの1点に尽きる。
当然のことながら、法案を提出した政府が、自らを悪意ある存在と言うはずがない。だから「一般市民」を対象にすることなど決してありませんと言う。ここで攻める野党が、「安倍政権は危ない政権で、きっと悪意ある運用をするにちがいない。」ということを、国民に訴えるのは意味があるとしても、政府に向かってそれを言っても当然、水掛け論になってしまうのであり、議論は噛み合わない。
野党は、この法案に関する議論の上では、現政権の評価をひとまず控えておいて、仮にデモクラシーの暴走によって危険な政権が成立した場合、この法案はその危険な政権が悪意をもって一般市民を弾圧する根拠を提供することになるのではないかと、政府を追及するべきなのである。警察善意論で話を単純化して逃亡し続ける金田法相はその場合、どういう答弁をするであろうか?
要するに「共謀罪」法案についての議論の本質は、将来の危ない政権の登場可能性についての判断の違い、この1点と言っても過言ではないであろう。
筆者は、言うまでもなく、この法案が一般市民を弾圧することを可能とする余地のある法案だと考えており、かつ、将来の危ない政権の登場の可能性を、安倍政権の態度豹変を含めて、高い確率で心配しているところである。