2017年3月4日
今日に至るまで一貫して石原慎太郎を批判し続けてきた。しかし、もはや政治的影響力を失った過去の人であり、昨日(3月3日(金))の記者会見のような醜態を公衆の前にさらすに至っては、「飛ばざるものはもはや妬まず(寺山修司)」の精神で、これまで彼がもたらせた国損~とりわけ尖閣のこじれの原因作り~を憎むとしても、あの老残の姿への攻撃を続ける意欲を筆者は維持しがたい。
今回を石原慎太郎に触れる最後の機会とし、大反面教師を演じてくれた石原慎太郎に深い御礼の言葉を送ることとしたい。
小池都知事にも皮肉を言われていたが、石原慎太郎は「男らしさ」を売り物にし、「侍」「武士(もののふ)」「果し合い」などという勇ましい言葉を連発していた。弟・裕次郎に対するコンプレックスがなさしめたものと筆者は推測しているが、その大げさな言動は個人のスタイルにとどまらず、彼の外交防衛政策の基調ともなっていた。すなわち、対米依存脱却、自主防衛、我が国の核武装等々である。しかし、それらはまさに彼のファッションに過ぎず、彼自身の中身は「男らしさ」の対極であることは、昨日の記者会見の腰砕けでありありとなった。石原慎太郎の「男らしさ」の演出にだまされて、これまで彼を支持してきた日本中のファンは、彼への幻想をここできっぱりと断ち切ることになるだろう。そして彼のファンのみならず日本国民全体にとって更に肝腎なことは、石原慎太郎と同様に「男らしさ」「勇ましさ」「正義」「国益」といったものを自分のファッションにして、卑小な自己満足、恥知らずの自己顕示、みじめったらしい自己利益を図っている連中が世の中にゴロゴロいて、人々をたぶらかしているということに気づかなければならないということである。
このことを石原慎太郎が自らを教材にして暴露してくれた。そのことに対し深く御礼を述べなければならない。
また、今回の豊洲移転問題に関する石原慎太郎の弁明振りは、太平洋戦争突入に至った日本の政治の無責任構造とまったく同じ構造を表わしており、太平洋戦争の発生経緯を理解する上で非常にいい実例を提供してくれたものと評価できる。
すなわち、「俺はトップだ」、しかし、トップの地位に就いたとき「重要事項は事実上すでに決まっていて覆しようはなかった」、そしてその後の運用・処理は「専門性のある事柄であり、しかるべき部署にゆだねざるを得なかった」、したがって「トップとしての責任は感ずる」が、事実上は「みんなの責任だ」という認識の仕方であり、それはまさに太平洋戦争に至る歴代総理大臣の思考パターンそのものである。
世の中が平穏である時期は、このようなリーダーが許されるのかもしれない。しかし、大きな決断を迫られる危機的状況においては、そんな事なかれ主義の腰抜けリーダーでは多くの人々が無意味な悲劇に追いやられる結果となる。
ここしばらくは日本の苦境は続く。そういう時期に口先だけのインチキヒーローをトップに選び出してしまうような愚を犯してはならない。トップ失格の石原慎太郎はそういう大教訓を残して退場していく。百条委員会は昨日の記者会見ビデオを回しておけばいいのであって、本人を招致する意味はない。もはや石原慎太郎は水に落ちた犬、生ける屍となっているのである。ご苦労さんでした、もうけっこうです、慎太郎!!