2017年2月11日

 

 この本に出会ったのは偶然である。そのきっかけは昨年末のNHK・Eテレでの「にっぽんの芸能・没後20年・武満徹『秋庭歌一具』」であった。筆者はそれまで、武満徹の名前と顔は知っていても、また大江健三郎の小説に登場する音楽家が武満徹にちがいないとは思ってはいても、その音楽に触れることは皆無であった。「にっぽんの芸能」の番組名に武満徹の名前を見て、武満徹についてもっと知りたいと思ったときも、すぐに活字の方向に行く筆者の性癖から、まずはアマゾンで「武満徹」を検索し、税抜き4千円という高額本ではあったが、リストのトップにあった本書を注文したのである。(「秋庭歌一具」(演奏:伶楽舎、舞踊:勅使河原三郎、佐東利穂子)は録画して翌日に見ることとなり、その迫力に圧倒された。)

 

 数々の実録的著書で有名な本書の著者立花隆は、意外にも現代音楽、とりわけ武満徹の音楽に造詣が極めて深い人で、その文章力、インタビュー能力と合わせて、一般読者を対象にして武満徹を書くのにこの人以外は考えられないという最々適の著者である。本書はその最々適の著者による全781頁の大著である。

 そして立花隆は、武満徹がいかに偉大な存在であったのかを一般読者にもできるかぎり知らしめたいとの精魂込めた、情熱的な叙述を本書で展開している。

 

 その立花隆の努力をもってしてもかなり難解であることは否めず、本書の内容を紹介することは筆者の能力をはるかに超えている。内容に立ち至って本書を勧めることは残念ながら筆者にはできない。しかし、とにかく、一カ月余を要して読み終えた段階で、本書の存在をできるだけ多くの人に知らせなければならないという、何やら義務感めいたものから逃れることができないのである。

 

 本書は1998年に「文学界」(文芸春秋社)での連載を終えたものであるにもかかわらず、18年間単行本としての出版がなされないままとなっていた。(それが出版に至った経緯は「おわりに~長い長い中断の後に」に感動的内容をもって説明されている。)したがって、購入時には思いもよらなかったが、本書は昨年出版の新刊なのである。その新刊が筆者のアンテナに引っかからなかった。同じような事情の多くの人がいるのではないだろうかと思い、とにかく、極めて高い価値があると思うこの大著の存在をみなさんにお知らせしないではいられないのである。

 

 天才前衛芸術家及びその周辺の人々とはいったいどういう人々で、何を問題にし、それをどのように解決していこうと考えている人々なのか、そして考えられる問題がいかに世界中の様々なジャンルの前衛で共有される課題であり、その課題のために犠牲を顧みずにチャレンジする前衛の人々の存在がいかにありがたいことであるか、そして達成に関する評価の目が民族、国境等々の制約を超えるいかにインターナショナルなものか。立花隆の筆力がこれらのことを明らかにしてくれる。

 日常性に埋没し、「常識」に捉えられ、世間体を気にして、自らを狭い世界に押し込めて生きている我ら凡人、後衛に配される者にとっては、それらを垣間見させてもらうことは、世界の拡大であり、狭い世界からの解放である。

 

 本書はそういう本である。天才と我らを繋いでくれた立花隆は大通訳者である。

 

 本の紹介としては誠に不十分な内容で恐縮至極だが、損を覚悟の4千円の投資をお勧めさせていただく次第である。