2017年1月15日

 

 

 トランプ政権に対する抵抗のメッセージとして、アメリカで女性や同性愛者たちの権利を訴える歌として歌われてきた歌「恋のサバイバル」の歌詞から「I will survive.」が取り上げられているという(1月15日朝日朝刊)。

 ベトナム戦争時の抵抗の歌は「We shall overcome.」だった。それと比べて「survive」とは、感慨深いものがある。

 「overecome」が抵抗の上「勝利する」ところまでを展望しているのに対し、「survive」は「厳しい状況を生き抜く」という意味であり、そこに「勝利の断念」が推量されるからだ。

 ことばがそのように選ばれたことにの背景は何か?

 

 

 新大統領トランプは、政治上、経済上、彼との付き合いの必要性がなく、客観的判断を率直に表現することが許される人間の立場から言えば、その本質は世界中の人々の対立をあおり、世界中の人々を悲惨に追い込む悪魔であると断言できる。マスコミレベルでは「まだ具体的にどういう政策をとってくるかを見究めなければ、トランプが世界にとって、日本にとって、どういう意味をもつのかはわからない。」などといい加減なことを言っているが、一般人がそんなことを本気で考える必要はない。明らかにトランプは世界中に災厄をもたらす悪魔なのだ。

 

 

 それならば「overcome」の対象であってしかるべきはずだが、アメリカでは「overcome」と言えない。

 その理由は、トランプがポピュリストであり、大衆人気を獲得する術にたけており、トランプを多くの大衆がダマされて支持しているからだ。

 このため、「overcome」と言えば、大衆を「overcome」する、すなわち大衆を敵とする宣言になってしまうのだ。

 大衆がダマされていることに気づき、目覚めるまで、耐えて生き抜くという対応をアメリカでは余儀なくされている。そういう状況判断が選ばせた言葉が「survive」だ。

 

 

 類似の状況は言うまでもなく日本でもある。他の国でもある。今年、世界各国で行われる選挙で類似の状況が一挙に拡大することも予想される。

 日本ではまだ「overcome」が言える状況だろう。「survive」と言うのはまだ早い。しかし、日本の大衆もダマされやすいし、政権はダマすことにいささかのためらいも見せていない。警戒不十分であれば「survive」の余地しかなくなる事態をすぐに迎えることになるだろう。