2016年12月3日
ギャンブルが人格を毀損するものであることは前回にも述べたとおりである。子の世代、孫の世代、そのまた先の世代、将来の日本の数多くの人々の人格が、カジノ法案によって損なわれることになる。
なぜそういうことが堂々と推進されることになるのか?目先の大きな個人的な利益があるというなら、肯定はできないが、理解はできる。しかし、そうでないならば、カジノ法案推進の理由はまったく理解することができない。
道徳、人格向上、正義、家族というようなことを扱うのがとりわけ好きだと思っていた人々が、臆面もなく、熱心に、国民に対して親不孝の博打の道を開こうとしている。不思議なことと思わざるを得ない。
大衆をギャンブルで去勢して反体制志向を弱めておかないと右肩下がりの日本経済での体制の安定は難しいという高度な政治判断があるのだろうか?より良き人格によって構成されるより良き社会などは幻想だという冷徹なニヒリズムを彼らはもっているのだろうか?彼らがそんな高度な思考をしているとは到底考えられない。
おそらく彼らはギャンブルについて何も知らないのだ。お坊ちゃま、お嬢様育ちの彼らは、格差、貧困、自己肯定感からの疎外、孤独、やけくそ、ニヒリズムがギャンブル志向を呼び、そのギャンブルがさらにそれらを拡大再生産していくという世の中の現実を知らないのだ。お金に余裕のある彼らは、ギャンブルにより生活が傾くという現実を知らず、そこまで行くのは自制心の不足であり、本人の自己責任の問題だと片付けてしまっているのだ。社会がその仕組みをどう設計するかによって、人々の転落を防止することにもなり、助長することにもなるということを、経済的余裕があるおかげで社会の荒波をもろにかぶることのない彼らには理解できないのだ。
世の中を知らない政治家失格の甘ちゃん政治家たちによる甘ちゃん的政策決定、カジノ法案とはそれである。
その結果は、直接的には数多くの人々の生活の崩壊、人格の破壊であり、社会による人格の破壊とは社会によるある種の殺人である。そして、中長期的に起こるのは、労働の質の低下による我が国の潜在的経済成長力の低下、拝金主義の蔓延による文化の堕落・社会の劣化などである。日本は三流国家に向かってひた走ることになる。
これを亡国と呼ばずして何を亡国と呼べるだろうか?純正右翼の人たちはいったい何をしているのだろうか?