2016年10月23日
役所の不正の究明と再発防止、役所の非効率の是正、役所の透明性の向上、これらを目標に掲げることは、理念の次元で言えば、新理念がいささかもあるわけではなく、それまでの理念を踏襲するだけのものに過ぎず、既得権益を持たぬ立場の者らにとって、既得権益のおこぼれ頂戴がむずかしくなるというわずかなリスクがあるだけで、目標に掲げることが間違っているわけではないが、そこにとどまっているとすれば、それらを旗印に掲げる改革派は大して誉めるに値するものと言うことはできない。
権力の交代が不正、非効率の露呈に端を発することが多く、攻める立場からは、まずそこに狙いをつけるのは当然だとしても、そこから先の新しい理念がないのであれば、同じ穴のムジナによる権力の交代が行われるだけであって、その交代した権力もまた、いずれ腐敗と非効率によって追及され、その場を去ることになるのがオチであろう。
こういう思いにさせられるのは、橋下の引き続き影響下にあると思われる松井大阪府政と劇場政治真っ盛りの小池都政が、不正、非効率の問題への取組みの次に、それぞれどのような展開を見せるのか、という観点に立った時、いずれも期待する内容を持っていないように感じられるからである。
まず、大阪だ。大阪府政、大阪市政の問題に鋭く切り込んで地盤を築いた「大阪維新の会」(国政レベルでは「日本維新の会」)だが、情けないことに、地域振興策として打ち出しているのは「25年大阪万博」、それと並行してのカジノを含む統合型リゾートの誘致だそうだ。仮に実施となれば、国費を含めて巨額の資金が大阪に投入されることになるだろうから、ヨダレを流す面々はたくさんいるだろうが、いつか来た道を再びたどろうという地方エゴ的な発想しかここには認められない。そしてこれによる弊害とリスクへの想像力がまったく欠けている。もうけ志向で頭の悪い人たちの無責任な政策と断じるほかはない。憲法改正への前向き姿勢で安倍政権へのすり寄り姿勢を見せているのも、所詮は破廉恥な人たちの戦術的対応でしかないように思える。
この大阪の例があるから小池都政が心配にならざるを得ない。小池都知事にとっては幸運にも、豊洲移転問題という伏魔殿と東京オリンピック・パラリンピックというバラマキ大宴会が目の前にあるから、当分の間は理念を問われることなく、これらの問題の処理に専念することができ、小池劇場は人気を博し続けることができるであろう。問題はその後だ。今は豊洲と五輪であまり話題にならなくなってしまったが、知事選においては小池知事は国際的金融センターとか、企業のためのインフラ整備とかいうような産業優先的なことを言っていたような気がする。日本経済の実力についての見究めの不十分なそのような政策は危険であり、無駄な大規模投資に終わることが懸念される。また、都政には得点のチャンスが無くなったと判断したとき、小池知事は都政でのそれまでの得点を背景に国政を狙ってくる可能性もある。その場合、小池知事を国政に押し出すのは個人的な人気をバックにした権力志向であり、新しい理念によるものとはならないであろう。小池知事が新しい理念をもっている政治家とは到底思えないからだ。その場合、小池政治は、個人的人気を背景にしつつ、外交防衛政策を含めて、それまでの自民党路線をより強硬に貫徹していくという政治になるであろう。それこそ、ただでさえ懸念されているポピュリズムの一層の亢進による政治である。
役所の不正の究明と再発防止、役所の非効率の是正、役所の透明性の向上、これらは大変にけっこうなことではある。しかし、そこでの成功物語は旧理念のもとでの成功物語であり、新理念のもとでの成功物語に続く保証は決してない。このことを肝に銘じておかなければならない。