2016年9月21日
日本人一般は政策的な超低金利あるいは低金利の長期継続がなぜいけないことなのか、わかっていないのではないか?!
バブルを発生させるから、それでいけないという理解でしかないのではないか?!
そのような理解では、「バブルにはならない」政策的な低金利あるいは低金利の長期継続は許容されることになる。目標物価上昇率にまったく及ばない現状では黒田バズーカは継続が望ましいことになる。
もしそれが正しいのならば、アメリカFRBは、インフレの、ましてバブルの兆候があるわけではないのに、景気への悪影響を懸念しつつ何故金融緩和策からの脱却を模索し続けるのか?
低金利政策が許容される局面は、不況による社会全体の稼働率の低下(労働者のみならず設備機械を含めた生産能力の不完全雇用状態)による非効率状態を改善し、資源の効率的利用を導くことができる場合である。それは企業の設備投資、在庫投資、個人消費、住宅投資等を刺激することによって実現される。
もちろん、企業、個人の金利負担を軽減するという直接的効果はあるが、それは、本来、副次的なものであって真に狙いとする効果ではない。金利負担の軽減は、その非効率によって淘汰されるべき企業、業種を温存させ、社会の非効率、資源配分の不適正を招くという好ましくない側面を持つからである。
低金利政策は、本来淘汰されるべき企業、業種を温存させる効果とともに、本来登場する資格のない、投資効果の低い企業、業種を世の中に登場させることになる。無駄な人材、無駄な資源の投入がそれらの企業、業種に行われることになる。また真のイノベーションに挑戦する企業家精神を弛緩させて、甘い経営、安易な投機的経営を社会に蔓延させることになる。結果として、その社会は(現在の日本のごとく)潜在成長力を大きく低下させることになるのである。過度な低金利政策は、低金利政策による効果をはるかに超えたダメージを社会に与える。アメ玉が元気を回復させることもあるが、ムチなきアメ玉だけの経済政策では、健全な産業構造を作ることができるわけがないのである。
同様な意味で、中央銀行の国債大量購入による財政ファイナンスが否定されるべきであることも言うまでもない。
民主主義国家では支持されにくい、歓迎されにくい、損な役回りではあるが、中央銀行は恒常的に厳しい姿勢を保って、産業構造の健全性の確保に取り組まなければならない。その役割を忘れた中央銀行をもつ国は、中長期的視点に立った場合、活力なき中年太り国家となって慢性的成人病に苦しむことになる。将来世代に対する大きな罪作りと言わなければならない。
日銀はこれから金融緩和政策の検証作業に入るという。検証作業にあたっては、是非、以上の基本的観点を忘れないでいただきたい。
なお、黒田バズーカの本質は、実は円安誘導策であるという説がある。そうであれば、それなりの合理性のある政策ではある。しかし、歯止めなき円安、輸入インフレに陥ってしまう危険はないのか、その懸念がある。それを許容して日本の賃金水準を国際的に低下させ、それによって生活水準を犠牲にしつつも雇用は確保するという選択もある。検討すべき内容があるとはいえ、円安誘導策は国際的には許容されない政策であり、残念ながら表向きはそれを検証作業の課題とすることはできない。