2016年9月10日
1154号で知的障害者襲撃事件の犯人植松聖がフリーメイソンに言及しているにもかかわらず、マスコミがまったくそれを取り上げないのはおかしいと指摘した。
9月9日(金)朝7時前のNHKラジオ「社会の見方・私の視点」で東工大リベラルアーツ研究教育院教授中島岳志が襲撃事件の背景というテーマで話し、その中で筆者としてははじめてメディアにおけるフリーメイソンへの言及に接することを得た。中島教授の話の趣旨は、犯人植松の特異性を強調するのではなく、むしろ犯人植松が持っている一般性に着目すべきだということであった。
犯人植松の持つ一般性として中島教授があげたのは、筆者の記憶するかぎりでは、陰謀社会観(世の中、ひいては本人がうまくいかないのは何らかの組織によって陰謀が仕組まれた結果にちがいないという考え方、例えばユダヤ陰謀説)、対左翼攻撃性(世の中がうまくいかないのは異分子の存在のためだと考え、その象徴として左翼を捉えて攻撃する傾向)、優生思想(世の中をよくしていくためには選ばれた人間によってのみ社会が構成されるようにすることが必要という考え方。ヒットラーのユダヤ人政策がその典型。)であった。
これらの考え方は犯人植松に特有の考え方ではなく、広く一般に存在する考え方であり、その考え方からあれほどの事件まで起こしてしまうことに特異性はあるものの、その特異性だけで事件を理解してしまうのでは事件の本質をとらえることはできない、行動の背景にある考え方を俎上に上げ、深く検討することによって我々の今生きている社会の問題を考えるべきだというのが中島教授の話であったと思う。
この中島教授の考えに筆者は全面的に賛成であり、一般の報道が特異性ばかりに注目しているのは誠に遺憾である。
しかしながら、残念な1点がある。犯人植松がフリーメイソンに言及している理由として中島教授は犯人植松が持っている陰謀社会論のゆえと説明していたのだが、その説明では犯人植松はフリーメイソンを陰謀組織として敵視していることになる。しかし、犯人植松は衆院議長あて文書で明らかにフリーメイソンを賛美し、敬語的表現まで使っているのである。犯人植松がフリーメイソンに言及している正しい理由は、フリーメイソンが優生思想を持っている団体であり犯人植松がそれに同調しているからである。この点においては中島教授に誤りがあったのである。
なお、中島教授はリベラル保守を自認し、たいへん常識的な主張を展開している1975年生まれの若手の論客であるが、それゆえに右サイドからかなり激しいバッシングを受けている。筆者は中島教授のデビュー作とも言えるであろう「中村屋のボース」(大仏次郎賞受賞)以来の(活字上の)御縁である。