2016年8月13日
大会7日目までの日本の戦果、金7、銀2、銅13、アメリカ、中国に続いて世界第3位、金はすでに前回大会と並ぶ。メダル獲得、獲得失敗の数々のドラマ、エピソード。その報道に連日、日本中が沸き立っている。早朝、隣家から家人が君が代を歌う声が聞こえてきて、びっくり。表彰式の君が代に合わせて歌っているのだった。職場でも、居酒屋でも日本選手の活躍の話題で持ちきりで、ついて行けない筆者は曖昧な相槌を繰り返すほかはない。
これって、この国家単位の熱狂、興奮、感動って、獲得した数字、順位、それをめぐる美談の数々って、版図という要素は無いものの、いつかに似ているのではないか?
具体的安全保障政策の内容はさておき、反戦平和の思想が持つべき過去の戦争からの重要な教訓には、国家単位の熱狂、興奮を避けようということがあったはずだ。
昨年夏、あれだけ盛り上がった反安保法制行動に参加した数多くの人々が、今年の夏はオリンピックの国家的熱狂の中にいる。涙を流しながら、日の丸を振り、君が代を歌っている。そのことを考えると日本の反戦平和思想の底の浅さが感じられて、頭が真白になる。言えば否定するのはわかっているが、熱狂、興奮の中にいる彼らは、無自覚ながら国家単位の熱狂、興奮の中にいるのであり、善意の心で容易に弾圧者側に立つであろう、告発者となるであろう。国家単位の熱狂、興奮とはそういうものだ。熱狂、興奮はまさに自分にとって真実であり、熱狂、興奮は否定されてはならないのだ。
世のマイノリティは喧噪を離れて、このことを静かに覚悟しておかなければならない。
「開戦○日目までの日本の戦果、撃沈、大破の敵戦艦○、空母○、巡洋艦○、駆逐艦○」「○○地域攻略、○○市占領、○○基地を現在総力を挙げて攻撃中、敵の損害甚大、我が軍の損害軽微」「粘る敵を平常心で突き放す」「我慢の皇軍」「殊勲の○○部隊」「厳しい訓練、一挙に花開く」「クールな戦術、奏功」。これらがもたらす熱狂、興奮、感動から離れていられる知的、精神的パワーの不足が懸念される。