2016年7月18日
天皇に生前退位の意向ありという報道がなされ、「天皇の意向を尊重し、その実現のために国民的議論を」というのがマスコミ各社の共通意見のようである。各党の意見もほぼ同様に思える。そんな中で慎重な姿勢を示しているのは官邸のみのようだ。
なぜ、官邸は慎重なのか?それは政治的なものではなく、この問題の法律的処理の難しさを認識しているがゆえのことと筆者は推測している。そうであれば、その慎重さは正しい。その法律的難しさの認識なしに、「天皇の意向を尊重し、その実現のために国民的議論を」と主張するのはいささか安易に過ぎるのだ。解決困難性を無視して、いいことはいいことだというような処理をするのはポピュリズムだ。
さて、この問題の解決困難性とはどういうことか?
今回の退位の意向は天皇御自身のものと思われ、その意向に外部からの働きかけその他の影響があったとは思われない。しかし、生前退位を許容する皇室典範の改正を行うとした場合、将来に備えて、外部からの働きかけその他の影響によって生前退位が行われることを排除しておかなければならない。そのためにどのような要件を課すべきか?これがなかなか難しいのである。
今回の生前退位に限って言えば、実現されたとしても、そこに政治性が絡んでいるとは考えられない。しかし、いったん生前退位が制度化されると、その要件次第では、生前退位が政治的に利用される可能性を心配せざるを得ないのである。
生前退位の第1の要件は天皇御自身の意向であろう。しかし、仮にそれが表明されたとしても、本当に天皇御自身の意向であるか否か、それを確認することは極めて難しい。
そのために付加的な客観的要件を加えるとすれば、考えられるのは年齢、病気であろう。しかし、それを具体的に規定するとなると議論百出が予想され、なかなか難しい。
天皇の国事行為の実施困難の場合の対応として、皇室典範では摂政の制度、また特別法で国事行為の臨時代行制度がある。両制度は天皇の意向は要件となっていない。
摂政の場合は、天皇が未成年(18歳)の場合、精神若しくは身体の重患又は重大な事故があった場合という客観的要件が定められ、手続きとして皇室会議の議を経ることが定められている。
臨時代行制度の場合は、精神若しくは身体の疾患又は事故があった場合という摂政の場合よりもやや緩い客観的要件が定められ、手続きとして内閣の助言と承認によることが定められている。
生前退位の場合、摂政又は臨時代行制度の場合のように手続きを定めることは適当であろうか?それは天皇の意向があるにもかかわらず、それを手続き上否定する場合もあるということを制度化することになる。天皇の意向を俎上に上げるという手続きの適否もなかなか判断が難しい問題といわなければならない。
天皇にとってその地位にとどまることの重圧は、摂政や臨時代行が置かれたことによって軽減されるものではないのかもしれない。しかし、願わくば天皇の地位にとどまって、国事行為は摂政又は臨時代行の制度によることとし、生前退位を考え直していただくことが、問題解決のための最も穏やかな道ではないかと考える。(そのお考え直しがないと、天皇の意向にもかかわらず制度改正に躊躇するのはけしからぬなどと主張していい子になろうとする狐が徘徊することが必至と思われる。)(話のレベルが落ちるが、今回のリークも宮内庁内部におけるそのような動きの結果なのではないだろうか?)(天皇に翻意を促し、宮内庁内の乱れを正すこと、風岡宮内庁長官の腕の見せどころである。)