2016年6月24日


 今回の国民投票によるイギリスのEU離脱決定は市場原理主義的経済政策の破綻を意味する。

 市場原理主義的経済政策とは、経済は自由な市場にゆだねておくことが最適だというイデオロギーに基づき、格差拡大をその象徴とする市場で発生する様々な歪みを政策的に補正しようという試みについて、それは適切な資源配分を乱すものとして認めないという、小さな政府を志向する経済政策のことである。この市場原理主義的経済政策のイギリスでの象徴的政治家は鉄の女・サッチャーであり、アメリカではレーガン、我が日本では中曽根であった。


 イギリスのEU離脱をマクロ経済指標で評価すれば、イギリスが大きな損失を被ることになることは間違いない。イギリスはEUという巨大マーケットを失い、EUからの安価な輸入品を失うことになる。多額の資本が海外へ逃避するであろうし、国内投資は海外からの投資を含めて激減するであろう。雇用も大きく失われる。

 マクロ経済指標で表わされるものを国益と名づければ、イギリスが国益を大きく損なったことになる。


 にもかかわらず、僅差とはいえ、イギリス国民はEU離脱を選択した。国益レベルでの損失発生をイギリス国民がまったく理解しなかったわけではないはずだ。

 離脱派の言い分はたぶんこういうことだ。「イギリスにとってEUに加盟していることに利益はあるのだろう。しかし、私は抽象的なイギリスの一国民であるわけではない。生活する具体的な一個人である。イギリスが得ているという利益を私は得ていない。ほかの誰かが得ているのだろう。そのほかの利益を受けている誰かのために、私が受けているのはEUからのお荷物ばかりだ。」

 この見解はマクロ的には正しいとは言えない。こう語る英国民は、客観的にはEU加盟から間接的な利益を得ている可能性は高い。しかし、その受益の程度が相対的に小さいため、受益の実感が生じていないのである。ミクロ的にはその言い分は無視しえない。


 市場がイギリス国民の間に受益実感格差を発生させていた。市場とは本来そういうものだ。市場原理主義の立場からはここに政策的対応を加えることは間違いである。それは競争抑制的に機能し、国の競争力を結果的には弱めることになる。受益はじわじわと染み通っていくはずだ。トリクルダウンを待っていればいいのだ。こう考えて受益実感格差は放置されていた。市場原理主義は名前のとおりに原理に忠実に政策を選択し、その結果その存立基盤である市場を失うという大失敗をやらかしたのである。市場は社会という秩序の上に乗っていることを見過ごしたのである。キャメロン首相の辞任は当然のことだ。


 古い言葉を使えば、内務省的・治安維持的社会政策を講じることにおいて、市場原理主義は怠慢であったのである。実態を踏まえたものではないイデオロギーによって、世の中を見る目がふさがれていたのである。

 かつて内務省的・治安維持的社会政策は社会主義運動、共産主義運動を仮想敵とするものであった。社会主義運動、共産主義運動は資本主義を、すなわち市場をぶっ壊すものとして現実の脅威であった。だからぶっ壊されないように硬軟織り交ぜた諸対策が講じられた。運動に対する弾圧も行われたし、社会福祉政策、所得再分配政策も行われたのである。

 社会主義恐怖、共産主義恐怖が無くなった時代に登場した市場原理主義はこの点において大いに手抜かりであった。その点においては日本を含めて各国とも同じ傾向を示している。その先行的象徴的破綻として今回のイギリスがあったのである。


 安倍首相は以って他山の石とするであろうか?