2016年6月21日
一昨日(6月19日)安倍首相は、次の国会、すなわち秋の臨時国会から、憲法審査会(衆、参それぞれに設置されている委員会)で憲法改正論議を行いたい旨の表明をした。そのことに別段異議はない。ただ、そのことをめぐって根本的にわからないことがある。
憲法審査会では、与野党の議員はそれぞれの所属政党の考え方を踏まえつつ、その主張を展開するであろう。その際、各党議員はどのような主張を展開するのか?各政党は所属議員にどのような主張をさせるのか?それは当然に、憲法改正の必要性及び改正案の内容に及ぶものであり、その重大性を考えれば、明らかに参院選の争点であろう。
にもかかわらず、そして安倍首相は自身が積極的改憲論者であり、任期中に憲法改正を行いたい旨表明しているにもかかわらず、争点ではないと語る。
改憲の意志をこれまで再三にわたり表明してきたではないかと問われると、歴代首相とはその積極性が明らかに異なるにもかかわらず、自民党の党是だから発言するなどと主体性がないかのような答え方をする。
憲法論議を開始すると言っているのに選挙の争点ではないというのはどういうことであろうか?経済政策に専念するため、憲法論議はしばらく棚上げにするというようなことであれば、争点ではないということは理解できるが、議論を始めるというのでは話が合わない。
最終的には憲法改正は国民投票によると当たり前のことを言う。その趣旨が何なのか、わかりにくいが、国会で議論を始めるということは、単に国会議員同士で意見を擦り合わせるということではなく、国民への説得を各党が国会という場を通じて開始するということのはずだ。国民投票の時点ではじめて争点化するのでは決してない。説得開始時点で争点となっているのだ。
憲法改正が争点にならないままに、憲法改正についての態度表明をすることなく選出された国会議員が憲法改正について国民への説得活動を開始するというのはどういうことであろうか?どのような説得を行うつもりなのか、選挙前に明らかにしてから国民説得活動を行うのが筋というものであろう。それが選挙というものであり、民主主義というものであろう。
もうひとつわからないのは自民党の憲法改正草案なるものだ。それは平成24年4月27日に党議決定されている。次期国会の憲法審査会で議論される場合、自民党国会議員はこの憲法改正草案により主張を展開すると考えるのが自然だと思うが、そうでなさそうでもある。
安倍首相は谷垣総裁時代にまとめられたものだというような言い方をする。どの条文を改正するのかはこれからの議論によるという主体性のないような言い方をする。改正案がこれからの議論によって決まるのは当然のことだが、自民党が主張するのはその憲法改正草案に基づくのではないのだろうか?
自民党で党議決定された憲法改正草案なるものはいったい何なのだろうか?我々にはさっぱりわからない。次期国会の憲法審査会で議論するという態度を表明している以上、いかなる性格を有する文書なのか、国民に、とりわけ一般自民党員に対して、明らかにするのは党執行部の責任であろう。それをしないのは公党としての責任放棄と言わざるを得ない。
これまでの疑問と質を異にするが、マスコミの姿勢もよくわからない。上に述べたような素朴な疑問は誰にでも生じると思われるが、マスコミはちっともその疑問を安倍首相に投げかけないのである。
マスコミは意図して疑問を投げかけないのであろうか?国民世論をないがしろにして憲法改正を実現しようとする安倍首相の戦略を知っているがゆえに、かえってその戦略に水を差すことが躊躇されているのであろうか?マスコミ諸氏はその世界のプロであり、問題に気づいていないということは絶対にありえない。問題に気づいているにもかかわらず表に出さないことが決して中立であるということではない。マスコミはマスコミの責任として国民に明確な説明をしてもらいたい。