2016年6月7日


 舛添君の政治資金公私混同使用について、弁護士による調査結果を鵜呑みにして、「違法性はないものの、不適切であった」という表現が報道で使われている。この表現は人々に事態を誤解させるものであって、大いに問題であり、このような安易な表現は控えるべきであると考える。

 


 「違法性はないものの、不適切であった」という調査受託弁護士の判定に誤りがあるわけではない。「違法性」がないのは客観的事実である。

 しかし、「違法性はない」という表現が使われれば、何も知らない人間にとっては、舛添君の行為は、「不適切であった」ものの、何らかのわずかな正当性があったのではないか、そのわずかな正当性を調査にあたった弁護士が認めたのではないかという印象を持たせられてしまう。

 それはとんでもないことだ。「違法性がない」と判定された理由を知れば、何らかのわずかな正当性の余地などまったくないことを直ちに理解することができる。


 舛添の政治資金の公私混同使用が違法ではないのは、政党助成法第4条第1項に次のように規定されているからである。

  

 「第4条  国は、政党の政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならない。」

 すなわち、政治活動の自由という高い次元の理念のために、はじめから政治資金の使用目的は問わないとされているのである。その結果、使用目的による違法というのは、そもそも法律上はあり得ないのである。

 このような法律の仕組みからすれば、今回の事件のような使用目的のおかしさ、不適切さ、卑しさという問題において、違法性の有無を議論の対象であるかのようにふるまうことがまずはナンセンスである。

 このような法律上のそもそもの枠組みを無視して、あたかも違法という判定がありうるかのごとく振る舞いながら、ことさらに深く検討をしたポーズをとって「違法性はない」などとすることは、何らかの正当化の要素が舛添君にあるのではないかという誤解を人々に与え、問題の本質を見誤らせるものでしかない。そのことに気づかないでいて違法性はないなどと無批判に報道しているのであれば、マスコミの脳天気にあきれるほかはない。


 政党助成法第4条には第2項として次のような規定がある。

 

 「2  政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を適切に使用しなければならない。」

 この規定によって直接義務を課されているのは「政党」であって舛添君個人ではないが、政治家舛添は法の精神による規定を当然に受けなければならない立場にある。にもかかわらず舛添君の行為はこの第4条第2項の精神に真っ向から反するものである。厳密な意味では「違法」ではないとしても、法の精神に反するという意味で実質的に舛添君は「著しく違法」であると断じざるをえない。