2016年3月8日
このたび「心中立て」という言葉にぶつかった。「心中」、すなわち男女の情死と考えていたので、それを「立てる」とはいかなることか、「心中」には男女の情死以外の意味があるのではないかという疑問に至り、調べてみた。
「心中」とは、約束ということだった。「心中立て」とは約束を守るということだ。
この場合、「中」の字は、「あいだ」「真ん中」という意味ではなく、「あたる」「会う」「一致する」という意味であるようだ。
すなわち、「心中」とは、心が合う、心が一致する、すなわち約束ということになるのだ。
昨今男女の情死が無くなって、現代的社会現象と注目していた。「心中」という言葉に現在お目にかかるのは「親子心中」「無理心中」の2ケースに限られる。
「心中」とは約束であるという語源に戻れば、約束した死ではない「親子心中」「無理心中」というのは言葉としておかしいことになる。
「心中」のうちの男女の情死の意味だけが独立し、一人歩きをした結果こういうことになったわけだ。
探せばほかにも似たような例があるかもしれない。お気づきの方があれば是非御教示願いたい。