2016年3月7日
朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第140回です。
【俳句】
自転車の・僧侶が葱を・買ひにけり (塩尻市 古厩林生)(大串章選)
(浅ましき心だとは思うが、「聖」が「俗」だと人は安心するのである。)
白梅や・ポップコーンの・木のやうな (川崎市 小山寿子)(大串章選)
(詠われつくした白梅を何か別の言葉で詠いたいという気持ちの結実。)
熊穴を・出づと市役所・農政課 (久慈市 和城弘志)(金子兜太選)
(事務的連絡がほのぼのと季節感を運んでくれるというほのぼのさ。)
一句いま・まとまりかけし・桃の花 (松戸市 吉田正男)(長谷川櫂選)
(桃の花の素晴らしさは言葉を超え、結局、作者に句をまとめさせなかったということだ。)
【短歌】
介護者は・誰でも天使に・なりたくて・でもなれなくて・今日も苦しむ (横浜市 平間由紀子)(高野公彦選)
(理屈上は天使になりたいという気持ちを捨てればいいのだが、それを捨てることもできないのが人間だ。)
たえだえの・息になっても・最後まで・呼ばれた名前に・反応する犬 (四街道市 横須賀弘子)(永田和宏選)
(自分がつくってしまった事態なのだろうと、事態をつくらないように生きる人もいる。)
「空爆」と・いう言葉など・使うとき・爆撃側の・立場に立つも (登別市 松木秀)(佐佐木幸綱選)
(マツクイムシ防除の農薬空散中のヘリの下に入ったとき、米軍に攻撃されるベトコンの仮体験をした。到底逃げようがないと感じた。)