2016年2月26日
報道によれば、3.11福島原発事故において東京電力は事故後3日目に炉心溶融(=メルトダウン。以下、「メルトダウン」とする。)が発生したことを認識できていたはずであるにもかかわらず、2か月後になってからメルトダウンが発生していたことを公表したという。そして、その遅延の原因は、社内のメルトダウン判定基準マニュアルの存在に気づいていなかったためであるとし、そのことが5年後の今になって判明したので、この24日に謝罪をするに至ったというのだ。
すべてのタイミングがズレっぱなしで、しかもメルトダウンの公表遅れは意図的なことが見え見えなウソばっかりの発表なので、何とも白けるほかはない。
しかしながら、思い起こせば、筆者は当時、メルトダウンとは「チャイナ・シンドローム」、すなわち燃料棒が溶け出して原子炉の外で核分裂が起きてしまう事態と認識しており、その場合には東京でも致死水準の深刻な放射能汚染は必至であって、すぐさま東京脱出を図らなければならないと考えていた。そのような判断は、おそらく事故直後の解説報道から醸成されたものと思われ、多くの人々が筆者と同じ認識であったと推測される。
そのようなメルトダウンについての一般的な認識の状態で、仮に東京電力がメルトダウンの発生を公表したら、東京脱出を図る人々が新幹線、主要道路に殺到し、東京は大混乱、街じゅうが大パニックとなっていたのは間違いなかろう。多数の死者が出る事態となっていたことも十分に考えられる。
結果的には、定義上はメルトダウンであったのかもしれないが、溶け出した燃料棒は原子炉圧力容器の外には出たものの、原子炉格納容器の内にとどまったのであり、原子炉外の地上で核分裂が起きる「チャイナ・シンドローム」には至らなかったのであった。
東京電力が、一般の人々のメルトダウン認識を「チャイナ・シンドローム」と判断した上で、東京大パニックを避けるために、敢えてメルトダウンを公表しなかったとすれば、マニュアル違反ではあったのかもしれないが、緊急対応として大英断だったのではなかろうか。
門外漢の筆者はこの仮説に自信はないが、東京電力の対応をマニュアル違反という攻めやすい材料でかさにかかって非難するばかりで、筆者のような仮説にいささかの想像力を向けようともしない報道ぶり、識者のコメントに接していると、少し頭を冷やしてことを考えてみなければならないと思うのである。(たまたま小保方晴子さんの手記「あの日」を読んでマスコミ批判の気持ちが強まっていたことがこんな思いの心理的背景としてあるのかもしれない。)