2016年1月6日


 4日の年頭記者会見で安倍首相はアベノミクスの成果として「もはやデフレではないという状況をつくりだした」と自らの政策を自画自賛したという。確かに「デフレ脱却」は大きな政策課題であり「デフレ脱却」はけっこうなことだ。しかし「デフレ脱却」という課題はそれ自体が目的なのではなく、より大きく深い日本経済の課題を象徴的に表わしたものだ。そのことを忘れて「デフレ脱却」を自己目的化することは決して正しいことではない。そのことの自覚がないから円安による輸入品価格上昇、原油価格低落といったことを「デフレ脱却」の観点からのみ評価して混乱を招いたりしている。


 そもそもデフレの原因は何であったのか?そのことから離れて「デフレ脱却」の政策的意味を理解することはできない。

 デフレの原因は、バブル時の諸々の企業の金融不動産投機志向(=生産活動離れ)、バブル崩壊をきっかけとする日本経済全体の自信喪失、そしてバブル期にため込んだ不良債権の処理にすっかり痛めつけられた金融機関の融資姿勢の大シュリンク病にある。(実はバブルの発生それ自体が日本経済の実力低下の結果なのであるが、そこまでさかのぼるのは控えておく。)

 これらのことによって企業経営者の質が一斉に劣化し、企業の国際競争力は低下し、それを見て取り、極めて慎重な姿勢に転じてしまった銀行の融資は手控えられ、世の中全体にカネが回らなくなってデフレ状態に至ったのであった。(デフレの原因を日銀の金融政策、消費税増税等の政策要因とする論が横行しているが、政策要因は非本質的なものであり、政策要因への拘泥はデフレへの適切な対応を妨げるものである。)


 したがって、「デフレ脱却」の真の目的は、以上のような事態を克服することなのであって、単に物価が上がればいいということでは決してなく、企業が安易な投機的姿勢を改め、本業を自覚して地道な生産的設備投資に向かい、金融機関が積極的にそれを支持・支援していくという、まっとうなかたちに日本経済を復帰させることにあるのでなくてはならない。その結果として日本経済が健全性を回復し、その回復によるディマンド・プルによって物価が徐々に上昇するに至ること、これが「デフレ脱却」である。物価上昇には良い物価上昇と悪い物価上昇がある。原因を問うことなく、単に物価が上昇するようになったから「デフレ脱却」などというのは経済音痴の言うことである。


 このような観点に立った時、現在の事態を「デフレ脱却」と言っていいのか?

 経営者はバブル期に染まった投機的体質から離脱しえているか?生産性向上に汗をかき、本業に光を見出せるようになっているか?金融機関はあの大シュリンク病から立ち直っているか?

 いずれの疑問にもそれに答えるストレートな経済指標はない。だから経済指標の森の中だけの住人である経済評論家はまともに答えることはできない。自分の主張に合わせて都合のいい経済指標をピックアップしてきて表面的な数字を並べるだけである。

 経済を知らない安倍首相もまた、自分に都合のいい経済評論家の意見を聴くだけで実相が見えていない、見ようともしていない。だから意味も分からずに「もはやデフレではないという状況をつくり出した」などと胸を張って言うのである。

 バブル崩壊の時、筆者は「日本経済全治30年」と診断を下したが、一国の指導者がこのようなことでは全治にはまだまだ時間がかかると言わねばならないであろう。