2015年10月3日
櫻井よし子推薦で、未読であった「平和はいかに失われたか」を読み終えた。
満州事変が起きる直前の中国駐在アメリカ公使(当時は大使はおらず、公使が中国駐在アメリカ外交官の最高位)だったマクマリーによる1935年のアメリカ国務省宛てレポートであり、ウオルドロン米国海軍大教授(本書出版時)が解説し、訳者衣川宏、監訳北岡伸一がそれぞれ重要な文章を載せている。
櫻井よし子が「大東亜戦争を『侵略』の一語で定義することがいかに危ういかを気づかせる」ものとして、この言い方は微妙だが、要するに「一連の日本の行動が『侵略』であったか否か」「『侵略』を70年首相談話に盛り込むべきか否か」という時下の問題に対して「否」の世論操作の目的をもって、アメリカにだって「侵略」とは言っていない権威者がいるという証拠として取り上げた書物である。
まず結論をいえば、櫻井よし子の企みはみごとに失敗している、というか、意図的でないとすれば櫻井よし子は明らかに本書を誤読している。本書から日本の侵略という事実を否定することは到底不可能なのである。
本書は同時に推薦された「全文リットン報告書」(1092参照)とともに大変有益で、多くの人に読まれるべき書物と評価できる。その書物を広く知らしめてくれた点においては、率直に櫻井よし子に感謝したい。しかし、誤読は誤読なのである。
親の心、子知らず。マクマリーはそういう立場でレポートを書いている。マクマリーは理想的な考え方をもった親であった。子とは中国である。西欧列強と日本、ソ連を教師としておこう。
それぞれバラバラなことを言う教師に子がいじめられている。そういう教育はもうやめようではないか、教師がいい教師であることをお互いに競い合うのはかえって有害だ、子が大人になるのをみんなで協調して支援していこうではないか、これがマクマリーの親心であった。
そのマクマリーの親心を体現しているのが、第1次世界大戦後の国際協調路線を極東に適用したワシントン条約体制であった。マクマリーはこの条約締結交渉に直接参加している。教師たち(ソ連を除く)はこれに同意し、子もこの条約に加わった。
マクマリーの認識では、教師の中の一番の問題教師は日本であった。その問題教師を抑えるためには条約体制に組み込んでおくことが一番有効である。マクマリーはこういう目的もあって条約を仕組んだのである。
しかし、ワシントン条約体制はどんどん崩れていった。日本は条約体制に従順であったが、最後に満州事変を起こして条約体制の終焉を告げる役割を果たした。ここでマクマリーは、条約体制を崩していったのは日本ではない、条約体制が崩れたから日本は満州事変を起こしたのだとしている。
協調教育体制が崩壊した結果として、日本は唯一の教育者たるべく行動を起こしたとしているのである。
マクマリーが協調教育体制を壊した原因者としているのは、まず子たる中国である。子はどんどん成長し、協調教育体制に縛られるのを今や拒否する体格と精神を獲得しつつあった。教師に向かって反抗し始めた。そして教師のうちのアメリカが、そういう成長を示し、反抗を始めた子に対して、自由放任主義的態度で迎合、黙認した。その結果打撃を受けた教師のうち、最も打撃が大きかったのは満州に特殊な地位を築いていた日本であった。
以上のようなマクマリーのストーリーが短絡的解釈を呼ぶことになる。
満州事変は追い込まれた結果として日本が起こしたものである。日本はむしろ被害者であって、受動的立場であり、決して能動的「侵略者」ではなかったという解釈である。
このような解釈は満州事変という一事件の、しかもその直接的原因論だけで、日本の戦前の大陸政策を評価しようとするものである。「侵略」については長いスパンで、軍事のみならず、政治、経済、文化全般にわたる考察によってなされるべきである。
それをこのマクマリーのストーリーだけでくつがえそうというのは短絡であり、乱暴であると言わざるを得ない。
マクマリーは日本を最も危険な国とまず捉えた上でワシントン条約体制を構築しているのである。彼にとってワシントン条約体制の崩壊とは危険な野獣・日本を野に放つことであった。マクマリー自身が日本の侵略性を否定するなどということは到底あり得ない。
本書の監訳者北岡伸一は70年談話のための首相の諮問機関の副座長であった。そして、70年談話で日本の「侵略」を認めるべきだと主張したのである。
余裕があればぜひ本書を一読されることをみなさんにお勧めする。
そして素直に読んでいただければ、櫻井よし子の誤読を容易に判断できるであろう。