2015年9月15日



 評価が分かれた戦後70年の安倍談話であるが、あっという間にもう忘れ去られつつある。忘れ去られるということは問題化しなかったということで、政府側からすれば無事に済ませたということになるのだろうが、安倍首相にとっては戦後レジームからの脱却というかねてよりの狙いとは違うものであったはずだ。

 筆者は1082(70年談話について)で明らかにしたように安倍談話については極めて問題があり、不十分な内容と考えているが、談話がもう少しだけ考えを進めれば、いい内容になりうるものであったとも考えている。安倍談話をこれからの人が勉強するときに、問題意識をちょっと深めれば、いいヒントが得られる「芽」があったと考えている。



 少し長くなるがそこの部分をまず引用する。

「 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

  ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

  戦後、六百万人を超える引揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれた事実を。

  戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

  そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

  寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。」



 さて、談話のこの部分から我々が考えるべきことは、安倍談話で2度使われた言葉・「寛容」を、日本は国際社会からなぜ受けることができたのか、ということである。

 善き国々、善き人々に恵まれたからであると感謝する態度は正しい。しかし、一方で「寛容」を得ることができた条件が何であったのかについて冷静、客観的に分析されなければならない。

 そして、その分析の結果に忠実であれば、引き続き「寛容」を受けることができるであろう。一方、その分析に誤りがあり、「寛容」の条件を失うことになれば、「寛容」を引き続き得られる保証はない。外交政策の失敗という事態だろう。

 「寛容」が得られた条件についての言及が不十分であることが談話の致命的欠陥であるが、考えるきっかけを提供したという意味では談話に意味がある。

 


 心配なのは、安倍首相及びその周辺が、高慢にも、「寛容」はもはや無用と高を括っているのではないかということである。

 もし、そうであれば、我が国の首相が日本がおかれている基本的国際的な立場を正しく認識していないことになる。